俺達に「昨日」はない

2006年08月06日 風の戯言


 田圃の稲は主人の足音を聞いて育つ、と言う。
 朝の出勤前に自分の田を見回る、それが楽しくてねぇと言っていた仲間がいた。稲たちに声をかけながら水や病虫害の世話を焼く、言葉にならなくても表情で判るようになるのだろう。
 
 庭の芝生が思うように育たない。
 7月の長雨の後元気が出ていないようなのだ。何が足りないのだろう。今日は一日三度も散水し頑張れ頑張れと声をかけている。心なしか元気が出てきたようだ。
 庭の片隅に家を建てた時植えた万年青がある。30年、見向きもしなかった。今年の春何気なし二手を加えたら素晴らしい光沢の葉が蘇った。依頼毎日手入れをするようになったら益々可愛くなった。植物も心が通うんだ、と思った。
 草木と話しているなんて痴呆の始まりかもしれない。最近語彙が乏しくなった。元々言語中枢に疑問があるので症状が進んだだけなのだろうがこの先あまり長くないのかも知れない。元々生命への執着心は薄いので、何時途切れたとしても悔いはない。最近は生きることに厭いてきている。中谷が自裁したとき「みんな許せるし、もういいんだ」と言っていたことを思い出す。そんな感じなのだ。
 軽挙妄動は慎むが、その程度の自制心はあるが、少し生き方を変えてみる必要がある、のかも知れない。人生に昨日はない。生きていることは汚物を撒き散らしながら這いずり回っていることだから、過去は見るべきではない。心を暗くして未来を失ってはならない。笑顔とは、その心の迷いを封印した未来に向かう決心のように思える。