背水の陣 ….ピンチはチャンス….

2007年10月26日 風の宿


 地震の後3ケ月が過ぎて、ハッと気付いたら柏崎は崖っぷちに立たされていた。
 無理も無い。3年にも満たない間にM6.8の地震に2度も襲われたのだから。中越地震で半壊になった自宅をやっと修理をしたのに今度は全壊、なんて人も多い。自分自身も鯨波事務所を綺麗に直したのに今回は地盤ごと揺すられ、建物はひび割れ傾いてしまった。残念ながら取り壊さざるを得ない。
 本町通を行くと古き良き時代の建物が軒並み壊れていた。お寺も神社も、田舎町の文化的な渇きを癒してくれていた市民会館も、みんな壊れた。公園やテニスコートは仮設住宅で埋め尽くされ、街中の市民の憩いの場は消えてしまった。
 エンマ通り商店街からは今もうめき声が聞こえそうな気がする。この町はどうなってしまうのか・・・。

 「がんばろう! 輝く柏崎」、「頑張ろう! 柏崎」、「まだまだ! 柏崎」、「立ち上がれ! 柏崎」・・・スローガンが乱立している。町人文化の町だから価値観は多様でいいのだ、と吐き捨ててみても、言葉が一つにならなければみんなの心は結ばれない。

 地震直後、目茶目茶になった工場で呆然と立ち尽くしていた社長と社員も、日本中の自動車産業から押し寄せた助っ人達の手際のよさに今度は唖然とし、やがて自分達の仕事の大きさに鳥肌が立つほど感動し、文字通り死に物狂いで働き出した。柏崎の基幹産業であり、2度の工業メッセをやり遂げた人の和が平成の大苦難を間違いなく乗り切っていくはずだ。

 同じく、地震直後、柏崎刈羽原子力発電所は黒煙を吐いて止まった。テレビや新聞、週刊誌などのマスコミは恐怖心をあおり、風評被害を報じ、この町に住む人たちの心をズタズタにし嵐のように去っていった。
 俺達はどうすればいいのだろう?
 俺はこの町が好きで、この町に住んでいる。雪が深くても、新幹線が通っていなくても、洒落た店が少なくても、それでも俺はこの町が好きだ。歴史や文化やいろいろいいものがあるのだろうけれど、そんなこと関係なしに俺はこの町が好きだ。だから、この町で死んでいくことに何の躊躇いも無い。この町の土に返る・・・素晴らしいじゃないか!

 この先、原子力発電所は廃墟となるのかも知れない。今回の地震で原子炉は自動停止した。そのことの技術力は評価すべきものなのか、当然なのか俺には判らない。想定外の震度と言いながら安全係数を高く取っていた事の効果なのだろうと思う。
 東京電力の年間売上高は約5兆円、その20%が柏崎刈羽原子力発電所によるものだという。約1兆円。製造原価を30%と考えると約3,300億円。働いている人は東電職員1,000名、協力会社約5、000名 総労働人員6、000人、家族を含めると約2万人が関係していることになる。
 柏崎の従業員4人以上の会社総数  社、労働者10,000人、工業出荷額2,380億円。

 自然の中でお天道様と共に働き日が落ちたら眠る、そんな心安らかな生活もあるのだろう。冬は年の余り、雨は日の余り、夜は時の余り、三余を大切にしながら桃源郷で暮す。東洋の知識人の渇望した夢でもある。そんな暮らしがしたい。小和田恒さんは柏崎高校の講演会で「明治以来、日本人の精神は開放されていない」と言った。グローバリズムの招聘で日本人の心はズタズタになっている。
 しかし、この日本の経済社会は自分達で選んだ現実であり、この現実の中で生きていかざるを得ない。

 俺は今50人の社員が働く会社の社長をしている。若い社員は結婚し、子供を育て、家を建てて自分達の未来に挑んでいる。会社は社員のものであり、一生懸命に働いて生活の糧を得て豊かな人生を築いて欲しいと願っている。

 今、東電が再開できず廃炉が決まったら、柏崎の経済はどうなるのだろう? 経済の語源から共同体が生きる仕組み、として考えている。既に10万人市民の間に深く根を下ろした原発と言う経済体をどう考えるべきなのだろう?
 安全と安心を脅かされても、黙って生活していろ、と言うことでは勿論無い。
 かつて、武黒所長(当時)が柏崎を離れる時に「築城三年落城一日」と言う言葉と共に「地元に信頼されない企業は存在する価値が無い」と言われたのを明確に覚えている。副社長になってもその心に変わりはないものと信ずる。
 過去において、一番パワーを持っていたのは多分政治家だったろう。二番手は地元商工業者であったことも間違いないと思う。しかし現代パワーの主は一般民衆、市民、地域の生活者である。この信頼を得ないと、一見風のように価値観が移動し掴みどころの無い大衆の信頼を得ないと、全ては始まらない、のだと思う。
 大衆の心を味方につけるのにはどうするか。誠心誠意、徹底的に真正面から向き合うほかには道が無い。どんなに苦労しても、信頼を得られたと言うことは心地いいものである。
 活断層等の問題もある。簡単ではない。しかし、この苦悩を乗り越えた時、柏崎は素晴らしい町になると信じている。

 頑張ろう! 柏崎

 朱筆をいれ、校正後新聞投稿の予定