さくらんぼ

2008年06月24日 風の戯言


 今年もまた山形の友人から「さくらんぼ」が届いた。毎年エンマ市の終わったこの季節を心待ちにしている。
 齊藤君は新潟大学工学部卒業後故郷に帰り電子関係の仕事をしている。在学中は探検部に所属し、放蕩?の後、熱気球に辿り着いた。
 我が家の畑に建てた「柏崎気球会館」で熱気球の設計から裁断、縫製、係留実験まで、そしてこともあろうに仲間の一組のカップルが製作中の熱気球の布の山で子供まで作ってしまっていた。貝沼君の子供は「風-はるか」と名づけられた。風を古語で「はるか」と読むのだそうだ。幸あれ!

 あれからもう35年近くが過ぎていったことになる。35年も昔の青春の振れあいを大切にしていてくれて、とても嬉しい。男も女も、私の友人はみんな妻の友人になってしまうのだけれど・・・嬉しいことだ。

 夕食が終わってBSを見ていたらビリー・ホリディの死後10年目に収録された彼女を知る人たちの証言集を元に構成された2時間番組。原田芳雄の語りに痺れ、珍しくテレビの前の2時間を過してしまった。
 レスター・ヤングのサックスとビリーとの協演はストレートに俺の心を掻き毟り、肌を沫立てていた。「月夜の小舟」「奇妙な果実」「マイマン」等を聴きながら、人が「ジャズ」って言っているのは、きっとこのことナンダな、と納得した。音が、ソウルが全然違うんだ。酒と不幸と麻薬と絶望がごっちゃ混ぜになって、それでも生きてゆかんばならん悲しみが伝わってくる。