ベリリュー島

2015年07月18日 風の戯言


 ベリリュー島はパラオの美しき島々の海の果てにあった。

 ホテルの近くの「パラオ港」から高速艇で1時間くらい南西にある人口600人とも374人とも言われる小さな島。
 
 高速艇で行く海は、南の太陽に照らされて青く輝き、コバルトブルーに変化し、珊瑚礁の浅瀬では緑色やミルク色に輝く。

 島々は珊瑚礁が隆起し、島の裾は潮風に洗いとられ、オーバーハングの自然の防御壁になっている。
 コロール島とベリリュ−島の間にあるロックアイランドは2012年7月に世界遺産に登録されたのだという。

 この世のものとは思えないパラオ諸島の中でベリリュー島が何故激戦の舞台になったのか ?

 当時日本の委任統治領であったこの島に日本はアジア最大の飛行場を築き、北西太平洋の作戦拠点としたらしい。

 ベリリュー島の大抵抗戦=玉砕戦が、硫黄島に続き、沖縄に続き、原爆に続くのです、と友人は教えてくれた。

 ベリュリュー島は、悲しみの島です。良くぞ、陛下はご訪問なさったと思っています、と続けている。

 この島の南端に「西太平洋戦没者の碑」がある。

 俺はこの碑に冷えたペットボトルを1本供え、ただ静かに頭を垂れることしか出来なかった。

 戦争とはなんだろう ?

 戦争を仕掛ける人達には、体ごと破砕され、遺骨の収集も顧みられない「兵士」は、個性も人格もない、俺が子供の頃飼っていたニワトリと同じ物でしか無かったのかも知れない。

 悲しいね。

 終戦後、いや敗戦後・・・やっぱり終戦後か、70年経とうとしている。
 俺は当時3歳だった。
 小さな提灯のような電球を覆う長い傘の下で、親兄弟達がヒソヒソと話していたことを思い出す。
 「アメリカ軍はカミナリみたいなものに乗ってきて、日本人を片っ端から皆殺しにするのだそうだ。
 子供心に、凄い恐怖だったことを今でも思い出す。

 先人達が自分の命と家族と夢を犠牲にしてやっと掴んだ「平和」を俺たちも未来に繋げていかなければならない。

 「平和」
 南の島々で、そんなことを考えていた。

パラオ

2015年07月16日 風の戯言


 長い間の夢だったパラオに行ってきた。
 陛下が慰霊に訪れたベリリュー島に自分で行きたかった。恥ずかしながら、今までこの島の玉砕を知らなかったのだ。

 あの島に行って、俺も祈りを捧げてきたい。
 そんな想いが老体を突き動かしていた。

 あの島で散っていった多くの人達が、こんな美しすぎる島で何故死ななければならなかったのか、どんな思いで死んでいったのか、どんな人達だったのだろうか ? 

 俺は陛下が祈りを捧げられた平和記念碑に冷たい水を供え、そんなことを考えていた。

 パラオの旅は倅が添乗員兼通訳兼スポンサーだった。
 いわば、介護付き旅行。

 そんなパラオの旅で思ったこと。
 ここの人達は比較的よく働き、対日感情も良いと聞く。
 台湾も、タイも、ミャンマーもそうだという。

 ベリリュー島最後の決戦の時、守備隊長中川大佐は現地の人達をみんな島外に避難させたという。そんな「伝説」が今も生きているらしい。
 人は優しくしてくれる人に、大切にしてくれる人に好意を抱くのだろう。
 日本軍は現地の人達にできる限りのことを尽くしたという。

 逆に悪感情を持っている人達には厳しくなる。
 日本の世界遺産登録にイチャモンをつけた国を好きになれない。理屈じゃ無い悪感情が駆け巡る。

 そして今日、7月16日は中越沖地震から8年。
 確かに存在した「時」が流れてゆく不思議を感じる。
 復興の祈りを形にと、大晦日の夜に108発の花火を上げようとした想いも、今は懐かしい思い出となっている。

 黙祷。

 写真は窓が無いセスナから見たパラオの島々。

御祓

2015年07月06日 風の戯言


 27日に「自動車運転免許証」が戻ってきて、釈放された喜びに浸っている。
 「自動車」なんて「自分で勝手に動く車」という意味だろうけれど、人類はまだ発展途上にあるのですね。免許証がいるなんて、後世の人間が知ったら大笑いだろうけれど・・・。

 1日に、悪い過去を清算して貰い、新しく生まれ変わろうと有坂神官にお祓いをして貰った。
 御祓が終わったので今度はまじめに生きるぞ !

 ということで、2,3,4日と飲み続けた。

 いゃ−、酒が飲める、というのは素晴らしいことですね。

山形のサクランボ

2015年06月22日 風の戯言


 今年もまた山形の友人からサクランボが届いた。
 家庭用に作っているものらしく、特別に甘い !

 彼が新潟大学探検部にいた頃、熱気球を作って空を飛びたい夢に駆られた何人かが、庭にあった「日本熱気球会館」に泊まり込んでいた。斉藤君はそのリーダーで、30年以上になる昔のことを思いだし、この時期になると美味いサクランボを送ってきてくれる。
 嬉しい話だ。

 当時、俺は「酒乱性人生論」を説き、多くの人を惑わせていた。
 曰く、動物の中で酒を飲むのは人間だけだ。家族も仕事もホゲ出して酒に狂うのは崇高な人間の行為なのだと。
 だから、酒を飲まぬのは「人間じゃねぇのよ」と大学生達に説教を垂れていた。
 中でも、京大生の多くがとち狂っていったのは俺の誇りだった。
 みんな偉くなったけれど・・・。

 過ぎた過去を思い煩らい、まだ来ぬ未来に右往左往するのも、他の動物とは違う人間の特性というか馬鹿らしさなのだが・・・。

 最近、体調も戻り、少しづつ酒が飲めるようになってきた。
 生ビールで始まって熱燗を楽しみ、最後は養命酒で締める。

 養命酒をブランデーグラスで飲んでいると、これがまたカッコいいのだ !

梅雨入り

2015年06月21日 風の戯言


 八石山(やま)霞み葵の花の色淡し    草風

 窓に来て嗤うは誰ぞ蛍一匹       草風

 海淡く御仏参らす岬かな        草風

 昨日は岬館の親爺の葬儀で些か気が滅入っていて、今日も元気が出ない。梅雨入りのせい、なのかも知れない。

 遠くで雷鳴が聞こえ、ベッドに潜り込んで仕方なしに「文春」を眺めていたら、石原慎太郎と佐々敦行の対談に目が行った。あまり好きなタイプじゃ無いので読み飛ばしていたらしい。

 中に、信長の「敦盛」
  「人間五十年 下天の内にくらぶれば 夢幻の如くなり
   一度生を受けて 滅せぬ者の有るべきか」
 あまりにも有名で、自分も好きな言葉(小唄)だけれど

 安吾が引用している小唄として石原が紹介しているのが
  「死のふは一条、しのび草にはなにをしょぞ、
   一定かたりをこすのよ」
 というのがあるという。

  「人が死んだ後にみんな勝手なことを言いやがるが、
   死んだ人間にはバカみたいな話だ」という意味らしい。

 信長と安吾らしい。

 秀吉の辞世はバカ有名な
  「露と落ち露と消えにし我が身かな
   難波のことも夢のまた夢」
 だけれど、少し作りが多いようだ。

 人は生まれ、人は死ぬ。他に何があるわけでは無い。

 鯖石川の堤防が、最近は最愛の散歩コースになった。
 八石の山を眺め、黒姫を拝み、時により苗場が遠望出来る。

 終焉の地を故郷小千谷に定めた詩人西脇順三郎が、山本山を散歩するのをこよなく愛したという話を思い出している。