「蜩ノ記」

2012年04月13日 風の戯言


 最悪の体調と屋根の復旧工事の慌ただしさで自宅にいるのも難儀で、信濃路を走ってきた。つまり、それだけの体力はあったと言うことなんだろうが・・・。
 まだ梅の花が所々であるだけで、桜も咲いていない信濃路は、だけど北アルプスの山波が続く松本は心が安まる。

 葉室麟の直木賞受賞作「蜩ノ記」は心に染みた。
 人間は何時か死を迎えるのだけれど、切腹の日まで凛として生きる1人の侍の日常に、不甲斐ない自分の心が静められる。
 全編に、近くの貧乏百姓の倅源吉の幼い妹「お春」が切ないほどの存在感を以て迫ってくる。70歳が近くなって、妙に涙脆くなってしまったのか、小説の主筋もさることながら、源吉の背に負ぶわれたお春が本を飛び出して、今もそこにいる。

春霞

2012年04月11日 風の戯言


 4月の半ばに差し掛かりながら、春はまだ遠いのか?

 鯖石川の岸辺の向こうに日本画のような世界が広がっている。
 
 疲れたけれど、こんな風景もいいもんだ。

親父の命日

2012年04月10日 風の戯言


 今日、4月10日は親父の命日。
 早いもので、もう60年が過ぎてしまう。

 死ぬ前夜は、隣の姉の家で親父と俺と甥の3人で風呂に入り、俺の脱腸気味のチンボコを掌にのせ、心配そうに眺めていた姿が今も脳裏から離れない。翌日登校したら直ちに家に帰れという先生の言葉。30分の道のりを、何が起きたのか懸命に考え続けながら歩いた。
 行兼集落の手前、岩野の坂に近づいたとき「紋兵衛」のとっつぁんが自転車で迎えに出ていて「載らんかね」と声を掛けてくれた。
 何が起きているのか理解できず「載らねぇ」と意地を張ったら「左右衛門」のじさんが「おおごったのう! 昨日まで何ともなかったのにのぉ」との会話を聞いて「親父、死んだな」と思った。
 葬式は一部始終を覚えている。遠い昔の話だが・・・忘れたら自分に価値がなくなる。

 4月10日は、だから気が重い。
 周光院の横山住職に毎年お経を上げて貰っている。

 戦後の公職追放であたら有能な政治家が野に埋もれてしまったのは、子供としても惜しすぎるように思う。
 地域経営とは何なのか、厳しすぎる現状の中で、先頭に立って実践してきた事蹟は語り継がれている。 世の中随分変わってしまったが・・・それもまた人生なのだと思う。

春の

2012年04月09日 風の戯言


 散歩道の土手に蕗の薹が芽を出している。
 なにやら摘むのが惜しいくらいに頑張っている。

花祭り 雪のち晴天

2012年04月08日 風の戯言


 4月8日 花祭り
 上野の桜は満開で花見の人達でごった返している・・・とか。
 雪国越後は、朝は10センチの降雪、そしてまだ庭の積雪70センチくらい。
 午後は晴れて散歩日和。

 夕陽を楽しみながら道路脇の蕗の薹を摘んでいたら、テレビアンテナ線を見回りに来ていた人からも両手に一杯の蕗の薹を貰った。地域の人達は優しい。

 先週はいろいろなことが有り過ぎたなぁ・・・。

 1日 エイプリル・フール
 2日 幼なじみ2人の誕生日
 3日 嵐の夜の宴会
    自宅屋根が吹き飛ばされた
 4日 屋根の応急工事、嵐の後の片付け
    2階、雨漏りの清掃片付け
 5日 屋根の復旧工事
    柏崎2つの大学新入生歓迎会
 6日 創業25周年パーティ
 7日 愛妻の誕生日・・・
 8日 そして今日はお釈迦様の誕生日

 嵐の後、話を聞いてみたら屋根を吹き飛ばされた、なんてのは自宅だけ・・・選ばれた家なんだなぁ。またこの程度で済んだのは神様仏様のお陰。これから気をつけて頑張れ、とのことなんだろう。

 鬱病が治ったみたいだ。