夏、になったのかな?
雨が上がったら、夏だった。
鯖石川の大水を心配して夜遅くまで天気予報を見続けていたが、夏に突入した、らしい。急に季節が変ると、頭の中が未だ梅雨空のままでなので、今年もまた季節感を修正するのに時間が掛かるようだ。反応が鈍くなっているのか、過去の季節変動の係数と何かの違いが出てきているのか、良く解らない。
中越沖地震から丸3年が過ぎた。
2007年7月16日午前10時13分。地面が波を打ってくるのが見えた。急いで会社に向かったが、道路が崩れ、橋の両端が沈没し、途中で車を捨て会社に辿り着いた。幸いインターネットは無事で胸を撫で下ろしたが、事務所に中はムチャクチャだった。
どうしてそうしたのか、今では思い出せないが、一人で夢遊病者のように街の中を歩いた記憶だけは鮮明に残っている。家は壊れ、道路にはヒビが入り、線路はひしゃげていた。
何を思ったのか、その年の大晦日の除夜の鐘に併せ、柏崎港で108発の花火を揚げる事に思い至り、大勢の人たちの思いを込めたお金が集まった。ただ、大晦日も元日の夜も大荒れで、翌年の7月16日に青年会議所のイベントに合わせて花火が揚った。海岸に集まった人たちの「ウォー」という叫び声と、綺麗な夜空に上がった花火の美しさは今も鮮明に心に残っている。
時折、自分でも解らない「何か」に突き動かされて行動を開始してしまい、満足感と後悔が同時に押寄せ分裂気味な精神状態に陥ってしまう。仕方がないさ。
久々の入道雲を見ながら、いろいろな事を思い出してしまった。
庭にお泊りの蝶さん
田島の毘沙門さんはいつも大雨が降って鯖石川か氾濫し、行兼から宮下、西の入り、田島は田圃に泥水が冠水し、稲の出来が心配になった。毎年出水は続いたような気がする。
子供達は大人に混じって堤防すれすれまで来た濁流に網を入れると、大きな魚が取れた。学校は休み、行って見ても校庭は水浸し。ワーイ ! 魚取りだぞ・・・・
各地で大雨を降らせた雨雲は、今年は天の助けか、柏崎を外れている。「当たり!」の地域は大変なんだろうが・・・天に感謝。
14日は鯖石の「稲虫送り」行事で夜の一時だけ、賑やかになる。「稲虫送れよーー、送れよぉー」太鼓に音にあわせ、稲藁で作った虫送りのタイマツを大きく回しながら、土手の上を練り歩く。子供の頃からの行事、懐かしいね。
ランちゃんが外に繋がれる時の領分、そこに繁る笹の葉にハグロトンボとクロアゲハが遊びに来ていた。ハグロトンボは誰か近しい人の霊のように、もう3日も同じところで遊んでいる。クロアゲハは昨日の夕方から今日の朝まで、風の強い中でも竹の葉や八つ手の葉に止まったままだった。
何やらを語りかけ、彼らの好物も差し上げないまま、短い会話が続いているようにしか思えない。
誰なんだろう ? 話してみたい・・・。
「もしドラ」
ホクギン経営者セミナーで「もしドラ」の著者 岩崎夏海氏の講演を聞く機会を頂いた。P.F.ドラッカーの経営学は、上田惇生の翻訳が殆どだが、言葉としては判り易く感じるが、だから自分の言葉にならないまま人に伝えようとする事が多いのだが、その原因?が理解できたように思う。
要は、正論なのだがなかなか実行が出来ない。「改革」をどう実行するか。社会は刻々と変化する。「停滞よりは前進することだ」という。前進すれば正解がある訳ではないが、過去を一旦捨てなければ未来に適応できない。
メモを読み返しながら、「自分の言葉」に何処まで変換できるか、楽しみではある。ナンギだネ。
今日もまた鯖石川の堤防を歩きながら、纏りのつかない事を考えていた。
加納の裏山に落ちて行く夕陽がバカに綺麗だった。
梅雨空の谷間で・・・
街で、リタイヤ組らしい人たちの歩く姿が多くなった。「馬鹿じねぇか!・・・」と彼らを蔑んでいたのだが・・・最近は時間を見つけては鯖石川の堤防を歩いている。
「俺も焼きが回ったのかな」と思いながらも、誰にも会わずに小一時間の散歩は結構楽しいのだ。
車で走る時は「路傍の花」なのだろうが、堤防に咲く花を何と言うのだろう。花の咲く時期が植物にとって一番勢いのある季節なのだろうが、「のっている」季節の、今の時期の緑は正に「青春」なのだろう。
鯖石川の堤防を歩きながら、この小さな谷間の村で生きる為に戦ってきた先人たちの事を考えている。理不尽だろうが、無意味だろうが、人は目の前の戦いに負けるわけには行かない、のだろう。
自宅前の公園に「鯖石川治水の碑」がある。梅雨の時期、特に毎年7月14日に開催される田島集落の普広寺「毘沙門」祭礼の前夜は必ず大水が出る、といわれるほどだった。
暴れ川、鯖石川を鎮めたのは、全財産を捨てでもそれに取り組んだ鯖石の素封家達だった。
静かに、今日も鯖石川は流れている。