村の時間

2010年03月18日 風の戯言


 村を出ず子に従わず稲を刈る      中村三郎

 「村には自分の時間が流れている。山にも川にも自分の時間が流れている。出来ることなら死ぬまでこの時間の中で生きていたいと思う」

 俳人の黒田杏子(高浜虚子の娘?)が文春3月号に山口県萩市の81歳の中村さんの言葉を紹介していた。
 高柳から奥に車を走らせると、忘れ去られたような村落を通り過ぎることがある。古い農家に人の気配がして、こんな所にも生活があるんだ! と感動する。その人達の「時間」に思い至り、何となく理解できたよう気がする。春になったら、今度は歩いてみよう。

 同じエッセイの中で医師の日野原重明さんの「命は時間」という言葉も胸に抱いていた。

 生きている、ってことは素晴らしいことなのかもしれない。

嵐の一週間

2010年03月14日 風の戯言


 深夜、イタリーの曲を集めたCDに酔っている。
 ベッドサイドで何百回も聴いているけれど鮮度は落ちない。
 何時聴いても俺の胸を掻き毟り、切なくする。
 人生とは何だ? もう全ての恋は枯れ果てたのか? そうじゃない! まだ消してはならない残り火が「その時」を待っているのだ・・・最期の足掻き・・・なんでもいいや!

 8日の月曜日は岡本先生の社内セミナー。
 9日は法政大学坂本先生の「経営革新セミナー」。経営学のセミナーではありえないのだけれど、坂本先生の講演は感動もので、隣の広川学長とハンカチを離せないで聴いていた。
 その直前に新潟産業大学と寄付講座協定書の調印式もあり、終了後の交流会とあわせて盛大な会を主催させてもらった。ありがたい話です。
 経営品質アセスメントに基づいた経営が理解でき始めたし、コレをやらなければ地域は衰退して行く、そんな危機感の中で一連の人たちに出会えるのは幸運としかいいようがない。

 10日は新潟の関係者へのお礼に出かけ、11日は地元を駆け回り、12日は東京で支援して頂いた方に御礼申し上げ、御馳走になり、ホテルで沈没。今まで味わったことのない眠りに誘い込まれた。不思議なことだが、眠りが全く変ってしまった。

 漸く「痴呆」が訪れ始めたかな?
なんて言いながら手島龍一の文庫を取り寄せ時間を忘れて呼んでいる。「スギハラ・ダラー」「ウルトラ・ダラー」「外交敗戦」「黄昏行く日米同盟」。著者の無念と優しさに時折涙が止まらなくなる。漸く本当の知性に出会えたような気もして、何とも嬉しい。
 もう一つ、出版界が変り始めたと愕然とし、かつ喝采を送るのが岩崎夏海の「もし高校野球の女史マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら」という本。
 間違いなく世の中変り始めている。

 写真は新潟で開かれた第四銀行主催の「食の陣?」での「越後みそ西」の出展風景。
 この会場の入り口で「にいがた里創プラン」の政策立案のアドバイザーだった高橋さんと10年ぶりの出会い。阿部裕子も同じプロジェクトで苦労していたので偶然とは言え、嬉しい再会だった。
 世の中、また何かが繋がり始めた感がする。

春はまだか?

2010年03月07日 風の戯言


 柏崎市内では殆ど見なくなったが、我が鯖石はまだ一面の雪。それでも消えて行く雪の下から折れた枝が散ばり、軒下には水仙の芽が伸び始めていた。春は戸惑いつつ近づいているようだ。

 税理士の久我先生から頂いた「スギハラ・ダラー」(手島龍一 新潮社)を土日夢中になって読んだ。9.11の時、11日間不眠不休で現場から情報を送り続けたと言う伝説を持つジャーナリストの、現代の分析と祈りが込められた本で、一読に値する。彼がこんな手法を使うとは想いもよらなかったのだが・・・久し振りに「現代小説」を読んだ満足感がある。
 混沌とした現代に、仕掛ける罠と、それを読み解きグローバル時代の自由を、真の自由を勝ち取る祈りと知恵がある。

 2010/2/25初刷
 2010/2/26二刷  
 こんな嬉しい奥付はあまりない。

四海並み静か

2010年03月05日 風の戯言


 四海並み静かにて 国も収まる時津風
 枝を鳴らさぬ 御代なれや
 あひに相生の松こそ めでたかりけれ
 げにや仰ぎても 事も疎(おろ)かや
 かかる代に住める 民とて豊かなる
 君の恵みぞ ありがたき
 君の恵みぞ ありがたき

 長岡での理事会に遅れそうになり車を飛ばす。
 体調も頭も本調子でなく、昨日の「四海並み静か」が低い地鳴りのように続き、「メリー・ジェーン」が波立つ男の気持ちを静めている。最近は分裂気味だ。

 八石山は靄が流れ、幻想的な、懐かしい風景を見せていた。ゆったりと流れる時間が欲しい。

ひな祭り句会

2010年03月04日 風の戯言


 3月3日、柏崎俳句の会「ひな祭り句会」を開催した。
 例会の宿は松尾芭蕉を追い返したと言う伝説を持つ「天屋」。地域としても、曲者揃いの句会としては此処の他に会場は見当たらない。呻吟し、困った時には、天屋の女将に八つ当たりすれば、後はナントカ道は開ける。

 兼題は「春めく」
 席題は「椿」そして何故か「いいだこ」

 酒を飲むために何でこんな苦労をせんばならんのだ、ぼやきつつ楽しんでいる。
 選句に入り、一人2句とは言え、何と無選句がないのにびっくり。
 口は悪いが、心根の優しさが伝わってくる。

 「春めいて幼き孫と散歩する」 信子
 「やぶ椿蜜を求めて小鳥来る」 孝也

 少しは俳句の格好になってきたかな?

 〆は宮沢正雪師匠の「四海波」 最近は謡で締める会もなくなった。ひな祭りの句会に花梅と謡曲、なにやら顔に似合わぬ文化の香りがしてきた。

 写真は宿の人にとってもらったが、個人情報保護の為にぼやかしてある。腕が悪い事にも起因するのだが・・・