松下幸之助

2009年09月08日 風の戯言


 「過去20年に世界を襲った変化の凄まじさは、言葉では言いつくせない・・・・」ニューズ・ウィーク 2009.9.2 にそんな書き出しで始まるレポートがある。自分が身を置く情報産業は最たるものだろうが「パソコンは4万倍、通信は44万倍」になったと何かに書いたことがある。そんな時代を良く生きて来れたなぁ、というのが最近の実感で、時折我が身を慰めている。。
 しかし、これで終わったわけではなさそうだ。CPUを副数機搭載したデュアル・コア・チップの登場により、10年以内に100期以上搭載の可能性があるそうだが、コンピューターが人間の脳並みになる未来も近いのだろうか?

 環境問題の本質はエネルギー革命。民主党政権のCO2 25%削減目標は身震いするような未来設定なのかもしれない。産業界にとってはムチャクチャだが、日本はそんな大きな壁を乗り越えてきた経験がある。きっとやれるのだろう。

 7日、Panasonic本社の中山さんにお会いして来た。30万社員が在籍する企業で2つの日本経営品質賞、7つの地方経営品質賞、海外が一つ。その全てを直接指揮し受賞に導き、経営革新を続ける企業の担当者は、もの静かで温かい、柏崎出身の人。
 本社前の「根源杜」を案内してもらい、歴史館を見せていただいた。松下幸之助を遠い存在として見ていたけれど、経営者としての人間的な苦悩を垣間見ることが出来、スケールも質も大違いではあるけれど、何やら身近な人に出会ったようで気持ちに大きな変化が訪れた感じだ。「この大自然、大宇宙は無限の過去から無限の未来に渡って耐えざる生成発展を続けているのだ] 成長の限界を超える世界がある。

 最悪の体調で、いつもならサボって自宅で伏せていたような状態で、自分以外の何か大きな力で動かされている思いもする。
 今日は新潟で日本生産性本部の元石常務とお会いし、新潟産業大学への寄附講座及び柏崎市内での講演会のシリーズ化等に物心両面の御支援をいただける確約が貰え、喜んでいる。誰かが俺を操っている。嬉しいことだけれど・・・。

静かな夜に

2009年09月02日 風の戯言


 10年振りに税務署の調査が入り、昼間は戦場のよう。

 静かな夜に、久し振りに音楽を楽しんでいる。普段は睡眠薬+寝酒+ついでの音楽、という感じなのだが何故かしんみりと心に沁みこむ。宇宙の果てから魂の底まで、静かに流れる「ミュージック」の世界に引き吊り込まれている。時には、堪らなく良いもんだ。
 書棚から黄文雄の「日本の植民地の真実」を引っ張り出し、気の向くままに拾い読みしている。読む、というより病気のような虚ろな目を泳がせているだけのような気もするが・・・。多分、政治の、というより日本の針路の潮目なのだろう、底流で何かが大きく動き始めているのを感じる。
 次の時代の幸せの姿は何処にあるのだろう。チカラや効率化だけでなく、本来愚かな人間の大地に根ざした生きる喜びがあるはずだと思う。人類が長らく熱望しながら手にし得なかった自由と共存による平和、なるものを。
 魂が幽体離脱したように、俺は秋の夜空を漂っている。

9月になれば・・・

2009年09月01日 風の戯言


 今日から9月。
 国政選挙の民主党の大勝、というより自民党の大敗なのだろうが、1993年の野党連合の細川政権とはかな違う感触がある。多分、国難に立ち向かう若手の志士達の様な熱気を感じさせる議員が多いことにも因る。時代が大きく変転していくのだろう。

 最近、身体でもなく心? 脳?でもなく、不快なものが何処からともなく何処かを走り抜けて行く。ハリ治療の先生によれば、年齢を無視した動きをしているからだ、そうだ。何を勝手なことをヌカシているか ! とも思うが、やはり年齢的な何かがあるのだろう。そうなら、クタバルまでもう少し好き勝手をやってみるか。

 時折、誰かにおいでおいでと呼ばれたような気がしてに、ぶどう村に上がってみる。
 誰かが俺に、何も言わないけれど、何かを言いたがっている存在を感じる。何をせい、とか?

実りの予感

2009年08月28日 風の戯言


 天候不順の夏、秋の実りが心配だ。
 晴れた日が少なく、日照時間の不足が「実りの時期」に大きく影響をするのではないか?・・・明神沖では刈入も始まった。ただ、例年の咽返るような穀倉の匂いはしてこない。

蓮池 薫さん

2009年08月25日 風の戯言


 夕陽に吸い寄せられて、海に行って来た。
 昔のユースホステルの海。いろいろな思い出が蘇ってしまつた。

 蓮池薫さんとは何度か出会っている。市役所でまだピリピリしているころ。新潟産業大学で見かけたこと。そして八幡開発が韓国将棋連盟の人たちを招いた晩餐会で〆の挨拶を託され、「どうすればいいんだ?」と蓮池さんに聞いたら「任せてください。何を言ってもかまわない、後は私が良い様に通訳しますから]って、いやぁ、参ったね。二人で大笑いしてしまった。それで亦彼が大好きになった。

 「半島へ、ふたたび」はそんな彼の魅力を余すところなく表現している。あの苦難の中で、どうしてこんな純な心が残せたのだろう、と感動的でさえある。最初の訳である「孤将」の背景が見えたりして、本好きとしては久方ぶりの良い出会い、という感じ。