永井陽之助の現実主義
毎週土曜日はサウナとマッサージを行のようにして、潮風温泉ソルト・スパに出かける。頭デッカチで慢性的運動不足ときては肩こりと不整脈が親類みたいな付き合いになっている。温泉で茹でて、サウナでテリヤキにし、マッサージで切り刻んで貰うと、暫らくは使用に耐える身体に復活する。
合間に、リラックス・シートで週刊新潮を読んでいると極楽に近づく。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・
4月2日号の「墓碑銘」の欄に「永井陽之助の現実主義」の見出しがあり、興味をそそられて目を泳がせた。
「世界の権力構造を明確に説いた」人らしい。イデオロギーや宣伝の為では本質が見えない。面白かったのは「米国の戦争感と毛沢東の挑戦」の記述で「戦争を政治の延長として捉える革命勢力に対し、米国は悪を罰する一種の教育的懲罰が戦争で、短期的な効率だけを求め、外交・政治の目的から独立し、勝利が自己目的化している、と喝破したとされる。
アメリカの真の理解は「キリスト教原理主義」の視点から見ないと現実を見失うといわれる。いわゆるイデオロギーに支配された武力闘争を「謙信の戦争」に見る。
所謂「義」を掲げ、殺戮を瞬間的な勝利にのみ価値を置き、「統治」に観点をおいてないようだ。彼らは何の為に死を受け入れたのか?
もう一つ面白い記述があった。「時間の政治学」
「ベトナム戦争を、短期的な(勝利)の判断に次々と迫られる米国に対し、ベトナムは無限の時間的資源に恵まれていた」と説いていた、と書かれている。凄いや!
写真は自宅前の公園から春雪の八石山を望む。
薄い緑の葉を木一杯に点ける、名前の知らない木が、春の息吹で赤く膨らんでいる。もう直ぐ4月ナノデス!
春の雪景色
高橋和子写真展が盛況に推移しているようだ。連日大勢の人たちが訪れてくれて、本人も柴野さん、霜田さんも笑顔が絶えない。深いところの本人の願いが表に表れているのだろうが、関係者や来訪者を仕合せ感が包み込んでいる。
最近、身の回りでいろいろな事が起き、いろいろな事に関り、秒速30万キロの現実がぶっ飛んでいく。
現実とは言え、手の届かない所の動きではあるが、世界経済崩壊と朝鮮半島の緊張は緩んだ皮膚にも、突き刺さってくる。経済の落ち込みと最近の右傾化は連動している。地政学的にハートランドの震動なのか、無関係ではないと思うがアメリカ・中国・ロシア+ニッポン。特に日本の国民感情の動きが急激だ。敗戦後の揺り戻しで、日本の自立志向と、そのことを危険視する勢力との拮抗が強さを増してきた。
日本人のプライドを維持するために、これも至難な業なのだろうが、北朝鮮の核保有と運搬手段の完成は、当然日本の核武装論を刺激し、起き上がってくる。
4月4日で、また日本が大きく変わる。
写真は八石山の春の雪景色。朝の一瞬、幻想的な光景を楽しませてくれる。八石は仏の寝たる山なり。
宮沢正雪句集「柏崎」出版祝賀会及び新春句会
季語は「鰆-さわら」
早速「荒海や さわらぬ神に 祟りなし」なんて好道の駄洒落句が飛び出したりして新春句会はのっけから波乱模様で始まった。
13日、芭蕉縁の「天屋旅館」で新潟工科大学教授宮沢正幸(俳号 正雪)の処女句集「柏崎」の出版を寿ぎ、祝賀会を開いた。
発起人代表に松村商工会議所会頭を担ぎ、経済人、大学教授、団体職員など、どちらかと言えば「一直線」でない人たちが集まり、専門が情報通信ネットワーク、産学交流センター長を兼ねる宮沢教授が宝生流謡曲、能に遊び更に「夏木」同人として俳句にとウィングを拡げているのを酒の肴にしてしまおう、と言う楽しい企画。
一渡り夫々の面識と酒が回ったところで、そう「宴たけなわではございますが」新春句会に急遽切り替え、選ばれた季題は前述の「鰆」。
駄洒落に脳を掻き乱されながら、普段無縁な作句に脂汗を滴らせている。何とも楽しい風景ではありました。
作法通り、夫々の句を一枚にまとめ、選句に入る。投票の多い順に天地人が決まり、テレと後悔の入り混じった初体験句会は終わった。いゃー、疲れたね。楽しかった。
最期は宮沢先生の謡で締めて散会。本当はこんなところで「三階節」が歌われたんだろうな。
金賢姫
何故か、昔から金賢姫が大好きだ。
だから彼女を「元死刑囚」とするマスコミが許せない。
品格と良識を持った新聞は「元工作員」と書いている。
彼女の人生は過酷すぎる。
最初は「キタ」の監視と教育、後半は「ミナミ」の監視と教育。そんな中で自らのアイデンティティーを見い出し、護り続けるなんて、そんな簡単なことじゃない。
関らされた「事件」のことを考えれば「自裁」こそが安らぎへの道になるのだろうが、それを拒んで(いるように俺には思える)いる。
11日の会見のテレビを見ていて、飯塚耕一郎さんに「抱いてもいいですか」と言う言葉に、不覚にも涙ぐんでしまった。双方の痛みは想像だに出来ないが、「キタ」に翻弄された人生を思うと、涙しか出せない自分を歯がゆく思う。みんなそうなのだろう。
俺は心底惚れているのかもしれない。