ワルサ古稀の時代

2012.01.09 風の戯言


 この3連休は青空に陽が差したり、猛烈な降りになったりと軽い狂気のような天候が続いていたが、今日は鉛色の空で朝から雪が降り止まない。
 ピアノ名曲集を聴きながら、浅田次郎を読みながら、雪景色を楽しんでいる。先人達はこんな時に「雪見酒」と洒落ていたのだろうが・・・。

 過ぎ去りし時の中を漂い、俺は何をしてきたのか、何を目標に生きてきたのか、呆然としながら自分に問い掛けている。人生の何たるかにも思い至らず、ただ惰性で生きてきたような悔いが残る。ただ、だったらどうしたら良かったのか、それもそれも想い浮かばない。本当の愛情も、優しさも、為すべき目的もないままに、ただ走り抜けてきた人生を振り返り愕然としている。

 今年は古稀を迎える。
 「冗談だろう ! 」と他人(ひと)に言われる前に、自分で納得出来ないでいる。
 若者までいかずに、子供のような自分の幼稚さだけが目立ち、年齢を重ねた渋みも何もない。それもいいのだが、今更仕方ないのか・・・。

 写真は高柳・じょんのび村付近。
 夕刻の一瞬、黒姫に沈む夕陽が撮れた。

初日の出

2012.01.01 風の戯言


 新しい年が始まった。
 2年参りで朝が遅かったが、窓から八石から上る初日の出を拝むことが出来た。
 午前中は実家に年始の挨拶。午後からは上加納集落の合同新年会。今年は当番だけど大不調で乾杯から脱出。

 新年度、これじぁたいへんだと思っていたら、実は先ほどのNHKスペシャル「目指せ! ニッポン復活」を見ていたら元気が出てきた。
 週刊誌には「ディストピア」が流行っていて「夢見るアホー」状態だがそんな時代だけではないのだろう。
 要は、簡単に言えば「前を向いて生きている」人たちには本当の未来がくる、そんなことかな。
 気分的に「鬱状態」が続いていたので、この休みの感に平常に戻しておかなければならない。その点ではNHKは素晴らしかった。もう一度「躁状態」に元競らなければならない。

 仕事の忙しさにかまけて、何かをじっくり考えることをしてこなかった。精神の解放も必要だ。遊ぶぞ。

雪が降る・・・

2011.12.23 風の戯言


 年末を直前にした3連休というのも「乙なもの」だが、疲れ切った体には嬉しい。経営を考えると、また眠れなくなるのだが・・・まぁいいか!
 昨夜は久しぶりに飲みに出て、5合程度の酒で千鳥足になっていた。何とも落ちたものだ、と悔しかったり歳のせいと諦めようと思ったりして・・・心理的複雑骨折。

 冬至も過ぎて、本格的な雪の季節になった。
 今夜は雪が降り始め、この降り方では本格的な積雪になりそうだ。何か、毎年当たり前の風景が嫌に感動的に見える。

冬の入り口

2011.12.20 風の戯言


 12月も半ばを過ぎて、気圧配置も身の回りの雪景色も様になってきた。八石の山に綿雪が掛かり、何なとも言えない優しげな八石が姿を見せている。鯖石の宝物だよね。

 この後は、付記も真剣勝負で降るから、今度は生活との勝負だ。本格的な冬の来週かな。

 18日、社員の義理の母親のお通屋に行ってきた。
 仏は90歳、しかし祭壇の花や普段の設営なから不思議な光を宿していた。
 お通屋の会場に入った時、祭壇全体が、優しい人柄のオーラを会場いっぱいにまき散らしていた。不思議な光景だった。

 よく見ると、祭壇の遺影は40歳の頃の匂い立つような美人。みんなが「綺麗な人だったんだよ」と言っていた。
 その遺影のせいか、会場には優しさが流れ、今まで経験しなかった「お通や」に参加できた。
 葬式の写真は、年食った写真より、「ブイブイ」言わせていた頃の方が、やはりいい。
 年寄りを送るのではなく、精一杯に生きた人の「若い頃の思い出」を送ることが出来た。いいお通やでした。

二人目の孫

2011.12.16 風の戯言


 千恵に2番目の子供が生まれた。
 12日午後1時頃、男の子、2960グラム、健康。
 名前はまだ知らない。

 厳しい経済状況の中、夢中で駆けていたら体調不良に陥り、山の神は9度の熱を出し、千恵の出産が早まり、長女千里を預かり、生活が変わり、雪が降り始めた。

 年の瀬を迎え、慌ただしく一日が過ぎていく。

 CDを聴きながら、ぼんやりしているこの時間、案外幸せなんかも知れない。
 買ったまま書棚の飾り物になっていた「日本の論点」(文春)をパラパラと捲ってい。マスコミがかなり無責任になった今の時代、幅広い問題の多い中、物事の本質を突いているように思える。こんな時間もいいモンだ。

 しばらく休んでいた「夜中の養命酒」を楽しんでいる。睡眠薬を少し飲んで、養命酒で口の中を湿らせ修正していると、ほろ酔いとともに最高の気分が起き上がってくる。
 日本の論点はみんな前向きではなかったか。地球がバック転でもしない限り、前を向いて生きることだ。それしかない。
 若い世代に、新鮮な生ものの時代を送りたい。経済も技術も変わり始めている。彼らにとって宝物のような、新鮮な時代を残してやりたいね。

 どうも、酔ったらしい。