個人の幸福と地域経済

2007.12.04 風の戯言


 とつとつと 雪落つ音や 夜が沈む      蒼風

 ある友人への手紙

 経済人、特に経営者なんて human behavior 人間行動の観察者みたいなところが有って、自己或いは集団の利益を考える時に「性悪説」の方が自分の頭を整理し易いのです。
 六韜三略、孫子の兵法、マキュアベリ君主論、或いは塩野七生「ローマ人の物語」など・・・個人の幸福の追求と51%以上の人間の世俗的幸福の追求は相反するものかもしれないですね。
 宗教的には、私は原始仏教がシンプルで好きですが、多分地域共同体が生きる仕組みとしてはpolitical economy 政策としての経済学を大切にすべきものと考えています。

 雅子妃の父君小和田恒氏が柏崎高校で講演した時「明治以来、日本人の精神的解放はできていない」と言われました。 日本文化の深層は豊かな縄文人の生活であり、それは稲作文化と融合し江戸末期まで、いや、現在も「米経済」として生きてきている。キリスト教の分派は狩猟文化と融合して資本主義を生み、この妖怪は貨幣経済に変貌し、世界規模に拡大増殖しています。
 このことの是非はともかく、1個の生命体としての人間はこのことを受け止めざるを得ない環境にいます。ダーウィンは「力のあるものが生き延びたのではない。知恵のあるものが生き延びたのでもない。環境に適応したものだけが生き延びことが出来たのだ」という意味のことを言っています。

 柏崎という経済環境の中で、束の間の生をどう燃焼させるのか、今問われていることは確かですね。

キャンドル・デコレーション・イベント

2007.11.30 風の戯言


 番神の除夜の鐘が鳴り、海岸で108発の花火が打ち上げられ、ただそれで終わっては面白くないと、追悼のキャンベルイベントが計画されはじめた。
 柏崎に住む若い人立つが中心となって、追悼のロウソクや午前0時のカウントダウン、花火のダダダーンがあったり、誰か甘酒屋が面白そう、なんて声もしていた。兎に角大勢の人たちに集まってもらい、新しい年を迎えてもらいたい。そしたら楽しいだろうな、と思う。

復興祈願花火

2007.11.28 風の戯言


 「大晦日に追悼と復興の願いを込めて花火を打ち上げる会」が正式にスタートした。急拵えのために思わぬ問題も起きるのだろうが何とか実現に漕ぎ着けたい。
 花火は爆竹を起源とし、爆竹は大きな音で悪霊を驚かせ退散させようという願いが込められている。青竹を火にくべて爆発させる、正に爆竹なのだが火薬の進歩と共に大きく変化してきた。
 中国の春節も爆竹と花火で賑やかに新年を迎えるのが定番と聞く。日本は除夜の鐘を鳴らし、108の煩悩を一つづつ思いを込めて消去し、新しい年を静に迎えようという気持ちが込められている。
 だから、大晦日に花火は合わないのかも知れない。しかし「どうにもこのもやもやした気分が晴れない。除夜の花火で新しい年を迎えたい」という仲間の声を実現させたいと思っている。
 静に涙するもよし、大声で泣き喚くもよし。悲しみに浸った後は、新しい年は平穏な年であって欲しいと願っている。

インターネットの高速化

2007.11.28 風の戯言


 味気のない表題になってしまった。

 パソコン通信、インターネットは趣味の領域から職業になって10数年、全国的なレベルから見ても地方都市としては素晴らしい通信環境が整備され、そのことに少しは役に立てたのかなという自負はある。
 しかし、合併により新柏崎市となった地域にはまだまだ整備されていないところが多い。
 青空の下、何か対策はないかと西山、高柳地域を一日がかりで飛び回ってきた。
 実は最新の技術で架線上で光を電話回線に受け渡すFTTRという技術がある。まだ実験レベルかも知れないが、新しい技術には未来の夢がある。当然まだ高価であり、悩ましいところが多い。しかし、高速回線の未受益者に一日も速い最適な通信環境を楽しんで貰いたい。
 暫らく、またこんな夢に、文字通り夢中になれることを嬉しいと思う。

佐藤秋雄師命日

2007.11.25 風の戯言


 三男坊には、本来お仏壇はない、はずなのだが小さな仏壇がある。両親や祖父母、お世話になった兄貴やおばの位牌と写真が飾られている。本当は大きな写真があり、みんなに囲まれている場所があったら、心が休まるのだろうな、と思う。
 分家初代として自分の墓の心配もしなくてならないのだが、自分が存在した記憶なんて早めに全消去をかけてもらいたい、と考えている。自分の存在の価値なんて、何もないんだ。
 徒然に藤沢周平の「海鳴り」を寝読した。神問屋の小野屋新兵衛が自分の老境にふと気付いた時に不確かな死までの道程が見え、寂しさと焦りは、分りすぎるほど分る。このまま朽ちてしまうのか。当時感じた寂しさと焦りはどこかに消えてしまった。諦めの中に深く沈んでしまったようだ。

 秋雄兄貴は54歳。いくらなんでも早過ぎたよなぁ。