Boston

2006年01月16日 風の宿

                                                 石塚 千恵

 1999年3月6日、私がボストンにはじめて来た時、ここはまだ雪が降っていた。新潟に降るような湿気の多いベタベタしたものではなく、それは綺麗なさらさらのパウダースノウ!空港を降りたときの肌を刺すような寒さは未だに忘れられない。迎えに来てくれていた車に乗りこんでからも10分以上は震えがとまらず、この寒さの中で生活できるのかと気が遠くなった。
 そして緊張しながらついたホームステイ先のマザーは金髪碧眼のおばあちゃん。体もリアクションも大きく、典型的なアメリカ人であった。ちょうどその日はマザーの息子の一人の誕生日でお家はとてもにぎやかで、ホームパーティなんてさすがアメリカ!!と感動したものである。

 とにかく私は英語が全くできなかった。もともと英語が好きで留学しようとしたわけじゃない。高校の時なんて268人中267番の成績をとったこともあるくらい。(親にはさすがに言えなかった。)

 高校生の時、私は自分が何になりたいのかよくわからなかった。目的がないから受験勉強にも身が入らない。まだ17やそこらで自分の将来を的確に見出すなんて容易なことじゃない。進路調査はどんどん進んで行くし、大学を決めるべき時も迫ってくる。結局私は中国語に少し興味があったし、指定校推薦で簡単に入れるからと地元の4年生大学に進むことにした。

 大学生なんて名ばかりで、学校なんてほとんど行ってなかったようなものである。毎日遊び放題で夢もなく、その頃は周りのトラブルに巻き込まれることも多くて私は精神的にとても疲れていたと思う。

 冷静に自分を見つめなおした時、入学してから成長したと言えるものがひとつもなかった。このまま大学を出て何か得られるものがあるのかと考え、退学を決心したのが去年の夏の終わりだった。高校の指定校で入った学校だし、親もPTA関係でかなり大学と接していたので言い出すのはとても勇気がいったけれど、両親ともすんなりと私が第2の道を踏み出す事を賛成してくれた。
 この学歴社会の中でせっかくの大卒の肩書きをなくすというのに。

 私は柏崎で生まれ育ち、この小さい平和な街の外で生活したことがなかったので自分の価値観の狭さにいつも怯えていたし、東京に出て行った友達にコンプレックスも持っていた。そして私が考えた事は一番辛いであろう環境に自分をぶち込むことだった。私にとってそれが英語圏の国で生活する事であり、私の留学の動機である。

 こっちへ来てから3ヶ月、アメリカ人の家庭にホームステイをしていた。ホストマザーは敬謙なクリスチャンでとても優しいおばあちゃんだった。夕食の前のお祈りも毎週日曜の朝の教会通いも私にはすべて初めての経験。ボストンのダウンタウンから少し離れたその街は、白人のお年寄りばかりで静かなところだった。サイレンが鳴り響くとしたら、隣りのおじいちゃんが倒れた時くらいだろうか。

 今はボストンでも割と治安の悪い地域に住んでいて、周りには黒人しか見当たらない。歩いているとよく黒人の10代の男の子達にからかわれたりする。友達にはかつあげされそうになった子もいるし、石を投げられた子もいる。彼らの長い白人からの差別のはけ口が私達に向いているとしか思えなくて、一時期は異様な程の敵対心や嫌悪感を持ったりもした。友達になってしまえば彼らはとても紳士的で優しいのだけど。

 私は日本に住んでいる頃は人種差別なんて真剣に考えもしなかったし、その言葉は黒人の人達だけに向けられるものだと思っていた。そしてこの先進国アメリカに未だにその差別があるなんて思いもしなかったものだ。白人の下に黒人、その下にアジア人という考えの人も少なくはない。とにかく想像以上に同じ人種同士の連結が固い。それがいいことなのかどうかはわからないけど。

 アメリカでの日本の印象と言えば”寿司”と”チキン照り焼き”ぐらいなものである。日本食の評価は驚くほど高いが、その他についてはあんまり・・・といった感じだ。一部の人達の間では日本のアニメが人気ではあるが。恐らく日本の首相が今は誰なのかなんて気にしてる人はあまりいないだろう。

 英語は日本語に比べて語数が少ない。日本語で書いた文章を英訳しようとすると適当な言葉が見つからない場合が多い。平仮名、片仮名、漢字と3種類の文字、しかも漢字にいたってはいろんな読み方もある。日本語って難しいんだな・・・と改めて実感している。日本人は一つの言葉をいろんな言い回しやニュアンスで表現できるが英語にはそれがない。
 彼らはストレートなモノの言い方しかないし、自分の感情もまっすぐに表現する。司馬遼太郎さんが本の中で”日本人は察する力が強く、欧米人にはそれがない”と言っていたがまさにその通りだと思う。言葉の裏がないので、変に勘ぐらなくて言い分つきあいは楽だが、言わなくても気がついて欲しい時なんかは期待しても無駄だ。
 半年通った語学学校を卒業する時、私は思わず感情が高ぶって泣いてしまった。先生たちは口々に「心配しなくていいよ、大丈夫だから。」と声をかけてきた。別に私は心配して泣いていたわけではないのに。
 さらには南米から来た友達が不思議そうに私の顔を覗きこみ、「なんで泣いてるの?」と単刀直入に聞いてきた。クラスメイトの日本人の女の子はもらい泣きをしてしまい、彼女もまた聞かれていた。そして最後にはみんな肩をすくめて「日本人て変なの。」

 確かに、金縛りというのは他の国にはないらしい。モウコハンがアジア人だけというのも私は知らなくて驚いたのだが、(だから欧米人に「まだケツが青いな。」なんて言ってもかれらには???という感じ) 金縛りは他のアジアの国にもないらしい。私達にとって幽霊を見たなんてゆうのはよく聞く話だが、彼らにはポルターガイストのほうがよくあるらしい。ゴーストを見たことがあるなんて言ったら鼻で笑われるだろう。
 でも私は舞い散る枯葉を綺麗と感じられる心を持てた日本の文化に感謝するけれど。

 違う土地で生活することによって、柏崎の良いところがどんどん見えてきた。
 今は佐渡島がぽっかり浮いてる海や友達やお気に入り喫茶店が恋しくてたまらない。でも帰る場所があるからこそ、私は異国の土地でがんばれているのだと思う。今年の新潟は暖冬だと聞いた。私はボストンで札幌並みの寒さを経験することになる。
 来年の日本海からの風なんて私の敵じゃなくなるはずだ。