武士道
読売新聞一面「日本 漂流する倫理」によれば「武士道」を取り入れた研修が各地で行われているらしい。
「武士道」とは自ら信ずる道を独立自尊の精神で生きる、ってことなのだろう。仁、義、礼、智、誠、孝、忠、廉、恥、勇、名、克。それぞれに深い意味があるのだろうが、俺には分らない。「魏を見てせざるは勇なかりき」なんて言葉だけイキがっていた時期もあった。「利己心を抑えて生きろ」は仏教の「自利利他」の方が深く思える。
「独立自尊」がなぜ価値があるかと言えば、他人に小突き回されたり、他人の価値観に振り回されて自分の人生を虚しいものにしたくないからだろう。特に人に頼って生きている場合、その人の都合で面倒を見て貰えない時、哀しいかな、自分がその人を怨んでしまうことが多いからだ。お世話になりながらその恩人を怨む、なんて不思議な感情だけれどそうなった時の自分ほど哀れなものはない。
「自助自立」誰も人の死を代わることができないならば、己の生は自分で支えるべきだ。いろいろな事情でそれが不可能な人に対しては、その人を支えるべきだろうし、その人の「ありがとう」を己の生きる力としたいと思う。
日本は今、アメリカの圧倒的な力の庇護の下にある。そして「歴史的な平和」な時間を貪っている。このことがいいことなのかどうか、俺には分らない。
只この支配モデルが日本中の自治体に遍く適用され、国民も住民も自分の不満や不幸を国や町のせいにしているのは、たった一回しか生きられない自分の生の時間として、何処か悲しいズレがあるように思う。
精一杯に生きて、生きたことに満足して、もうこのくらいでいいかな、と目を瞑る幸せってのもあるのかも知れない。
BS-hiのシートン動物記を見ていてそう思った。そう言えば子供の頃から気になっていながら、シートンを読んでいなかったな。