人類の足跡

2007年09月18日 風の戯言


 急に目眩と動悸で脂汗が噴出し、昨日のお通夜は中座させてもらった。原因の分らぬままに今日のお葬式に顔を出したあとで医者を覗き、自宅で静かにしている。
 もう歳なのかな、思いながらもまだ終わるわけにはいかない。静に、闘志が湧いてくるのを待つ。こんな時には古い曲でも聞きながら、気の向くままに本棚の拾い読みするのもいいもんだ。

 自分がどこへ行くかを知るためには
 自分が今いるところを知らなければならない。
 そのためには、自分がどこから来たのかを知らなければならない。
      —フィリピンに残るオセアニアのことわざ—

 「人類の足跡 10万年全史」巻頭の言葉より

 今、自分がいるのは連綿と続く生命の進化の最前線にいる、と言うことなのだ、だそうだ。環境の変化に対応し、兎に角生き延びようとした生命の結果なのだろう。現実を直視し未来に夢を繋いだものの結果、としてもいい。
 遺伝子のDNAを調べてゆくと、全世界の人類の共通の祖先にいきつくという。出アフリカ! サバンナから2本足歩行で出てきた人類の祖先、それはただ一度の奇跡に遡れるというのだ。凄い話だ。
 50年ほど前、「人間、みな兄弟」と言う写真集を見た覚えがある。父親代わりの、写真好きの兄貴の書棚にあった。
 人間、みな兄弟。そうなのかもしれない。

 人は生まれ、そして人は死ぬる。
 その当然のことを忘れなければ、人は案外幸せなのだろうと思う。修証議はそのことだけを繰り返し唱えている。ただ一度の人生をただひたすら自分の為に生きる。そのことが他人の幸福に繋がるならそれ以上望むべくもない。誰が考えたか、偽とは人の為と書く。偽り、なのだそうだ。

 人間、みな兄弟。みな、悩ましい生の時を生きている。

 人類の足跡 10万年全史