原発の耐震安全・信頼性国際シンポ

2008年03月02日 風の戯言


1週間が翔ぶように過ぎて行く。従って土日は仮死状態。

 26,27日の「原子力きっ伝書の耐震安全性・信頼性に関する国際シンポジュウム」は実り多かった。26日は震災復興会議で午後からは欠席、27日は風邪の悪化でダウン。だから正味26午前と27午後鹿参加できなかったが原子力発電に関る多くの国と人たちが集まり、かなり純粋な議論が展開されたことを喜びたい。基本的に技術者達が一般の人たちに向かって何かを伝えようとする熱意とその難しさ、それらをひっくるめた原発にまつわる諸々の問題を、知の共有を図ろうとしていた姿勢は大変なものだったと思う。
 27日、総括セッションで会場からの質問と言う形ではあったけれど吉田眞理さんのスピーチは感動モノだった。普通御礼を含んだ質問とは言え会場からのスピーチが満堂の拍手を浴び議長が立ち上がって深々とお礼の挨拶をするなんて光景を見たことが無い。それほど感動的だった。
 たった一人の女性のスピーチが世界から集まった原子力技術者に勇気と誇りを与え、柏崎の文化の高さをしめた効果は図りきれないほど大きなものがあると確信する。

ここから眞理さんのスピーチ原稿です。

原子力発電所の耐震安全性・信頼性に関する 国際シンポジューム
                                                H20,2,27

柏崎市の吉田と申します。原発立地に住む一母親の視点から、感想を述べさせていただきたいと思います。
まず、この度このような素晴らしい企画を都会ではなく、この世界一の原子力発電所有する中越沖地震被災地柏崎にて主催して下さいましたお気持ちに、心から深く感謝申し上げます。

この度の柏崎刈羽での「出来事」は、数十年間に数百機建設されるであろう、これからの人類の「原子力との共存」 に原子力ルネッサンスに転換する臨界期の象徴として、大切な役割と使命を有すると認識しております。
この度の企画をこの柏崎で主催したというこの行動は、「安全」のみならず実は「安心」にも多大なる貢献をしていると参加させていただいて私は感じております。

この度の企画が、再稼動の根拠としての議論では無いというお気持ちは、昨日お聞きしました。しかし、もし、現実的に再稼動をするなら、この柏崎刈羽には、ただの再稼動ではなく、世界への大切なメッセージとともにそれを成す事が「使命」として有ると思っております。
午前中の酒井様のご発言に、原発はビッグサイエンスというお言葉を述べられましたが、この地に住んでいるものとして、原発とは、「平和」を作る大きな使命が有るというのが、私の認識で御座います。 
「平和」とは、世界に対する「安心」・「信頼」に繋がります。それは哲学を持った「人」造りで有ると思っています。
この度は安全でありましたが、自然は未知であります。次に何が起こるかわかりません。
「世界は一つの船に乗っている」というコメントが昨日ありました。原発を積んで、上手く人類が船に載り続けるためには、「平和を作り上げる信頼」が必要なのだと思っております。

この度の震災で、原発の知識がないという現実が「不安」や「風評被害」を生みました。又、消費地と生産地のあまりの温度差に、生産地で住む柏崎刈羽市民は、経済的、物質的のみならず、精神的なダメージを受けました。その柏崎でこのような素晴らしい国際シンポジュームを 開催してくださいました事は、それらを払拭し、はじめて世界一の原発が有るという事に私は“誇り”が持てるきっかけを作っていただいたような気がいたします。

私が心配しているのは、子供達に残すこの地球環境と、子供達がこの震災の後始末を世界の大人達がいかにするのかをじっと見ているという事です。この度の震災での学びが、科学技術のみならず、「平和」つまり、「穏やかな精神環境」を創る為の「人としての思いやりの学び」であることを母親として、祈っております。
情報とは、情けに報いると書きます。メディアは映像と言葉を使った芸術家で有ると思っています。コミュニケーションは、愛情であり、哲学で有ると思います。「信頼・哲学からの再構築」がこの度の再稼動に繋がると思っております。

昨日からの壇上での皆様の温かく、真摯なご発言に、企画して下さいました皆様、世界からいらして下さいました皆様に、心より御礼を申し上げたいと思います。有り難う御座いました。

                                         文責・吉田眞理