風の吹くままに

2011年08月07日 風の戯言


 久しぶりに宗次郎の「大黄河」を聴いている。

 歴史を学ぶことは未来を知ること、だと何かに書いてあった。人間が何を求めてきたのか、それが解れば未来を推察できる、と言いたいのだろうが、そう簡単ではないだろう。
 人類の歴史の中で、インターネットなるものがこれほどの力を持つと誰が予想しただろうか? 今日の「情報通信」という言葉の重さと同時性を誰が予想しえただろうか?

 「大黄河」を聴きながら老子・荘子を開くのも悪くはなさそうだ。こんなのがあった。
 「古の真人は、生を説ぶ(よろこぶ)ことを知らず、死を悪む(にくむ)ことを知らず、その出を訴ばず(よろこばず)、その入も拒まず、悠然として往き、悠然として来るのみ」と大宗師篇」にあるとのこと。生を悟りすぎたら面白みがない。大言壮語し、支離滅裂に苦悩と悲惨の中で七転八倒して生き抜くのも、楽しいのかもしれない。

 写真は野尻湖から黒姫山?を望む。

   静けさに心のさざ波報られしか     草風