風船一揆 36年
大雪の中、小千谷の「風船一揆」が近づいてきた。
雪国の春を呼ぶ風物詩として多くの人達に愛され、今年は36回目を迎える。
2月25,6日、今年もまた全国から40機の熱気球が集まり、白い大地と青い空に色鮮やかな花が咲き、会場から大きな歓声と響めきが上がるのだろう。山本山の麓、西中の会場から飛び立った熱気球は、小千谷の街の上空を越え、悠々と長岡や越後平野まで雪の大空を飛び続ける筈だ。
夜は市内の平沢会場に10機近い熱気球が大きな提灯のように浮かび上がり、会場に設営された多くの屋台には見物客たちの賑やかな話し声が広がり、昼間から陣とったカメラマン達の熱いシャッター音が聞こえてくる。
小千谷との縁が生まれたのは、神に導かれたような、初期のフライトから始まる。京都大学の「イカロス5号」に続き、日本2番目の気球を目指した「かぐや姫」号が飛行実験を繰り返していた頃、中鯖石のグランドから飛び立った熱気球は北条の山に消えた。探し求めて、やっと操縦者達と出会えたのは東長鳥の山の奥だった。聞けば、燃料が尽きて崖の上にせり出した木の枝に止まり、最後の一炊きで谷の底の藪の中に降りられたという。一つ間違えば日本で最初の死亡事故になっていたとしても不思議はなかった。追跡隊が合流し、プロパンボンベを交代で担ぎ上げ、そこから飛び立てたのは運が良かった、というより神が見守っていてくれたように思える。語るうちに、遠い記憶が蘇ってくる。
再び大空に浮かび上がった「かぐや姫」は、誇らしく、風に舞い、車で後を追いかける我々は全身を突き抜けるような感動の中で、意味の分からない絶叫を繰り返していた。
熱気球は小千谷市小粟田原の稲刈りが済んだばかりの田圃に降りていた。大勢の人達に囲まれ、照れくさそうにしていた仲間達の顔が今も忘れられない。
翌年の3月、雪の上を飛びたいという全国の仲間達と「風船一揆」が始まった。
当時の星野行男市長、4尺玉花火の本田善治さん、市役所の丸山係長、商工会議所や飲食店組合の方達、ライオンズクラブや町内会の方達、多くの人達と夢を語り、「風船一揆」は春を待つ祭りとして大きく育っている。実行委員会を取り仕切るのは朝日木材の金子修一氏で、彼と新潟県内の「越後風船共和国」メンバーがこの大きな大会を支え続けている。
夜のイベントの後、サンプラザで気球関係者、市長や市内の人達、ツアー客が混じり合い、300人ほどのパーティが夜遅くまで続く。会場では「春よ来い!」の大合唱が沸き上がり、パーテーの帰の人通りの少なくなった町中のあちこちからも春を待つ歌は聞こえてき、雪国の夜は更けていく。
大雪の中でも、春はもうそこまで来ている。