親父の命日
今日、4月10日は親父の命日。
早いもので、もう60年が過ぎてしまう。
死ぬ前夜は、隣の姉の家で親父と俺と甥の3人で風呂に入り、俺の脱腸気味のチンボコを掌にのせ、心配そうに眺めていた姿が今も脳裏から離れない。翌日登校したら直ちに家に帰れという先生の言葉。30分の道のりを、何が起きたのか懸命に考え続けながら歩いた。
行兼集落の手前、岩野の坂に近づいたとき「紋兵衛」のとっつぁんが自転車で迎えに出ていて「載らんかね」と声を掛けてくれた。
何が起きているのか理解できず「載らねぇ」と意地を張ったら「左右衛門」のじさんが「おおごったのう! 昨日まで何ともなかったのにのぉ」との会話を聞いて「親父、死んだな」と思った。
葬式は一部始終を覚えている。遠い昔の話だが・・・忘れたら自分に価値がなくなる。
4月10日は、だから気が重い。
周光院の横山住職に毎年お経を上げて貰っている。
戦後の公職追放であたら有能な政治家が野に埋もれてしまったのは、子供としても惜しすぎるように思う。
地域経営とは何なのか、厳しすぎる現状の中で、先頭に立って実践してきた事蹟は語り継がれている。 世の中随分変わってしまったが・・・それもまた人生なのだと思う。