どなたか「高橋五郎」をご存知ないか?
インテリジェンス作家佐藤優らしからぬ書評に魅せられノートルダム清心学園理事長渡辺知子の「置かれた場所で咲きなさい」を手に取ってみた。
正直言えば、この「置かれたところで咲く、ということは仕方が無いと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすること」というキリスト者の世界は最も苦手なんです。
実は学生時代、サルトルを曲解し無神論的虚無主義者として勝手気儘に生きることを人生の掟としてしまった。
ただ、「痴娯の家」の岩下館長から「聖書を最初に日本語に翻訳した高橋五郎は柏?の人」という一言が頭から去らず、何時か調べてみたい人になっている。
ドナルド・キーン・センターの吉田真理さんに話したら彼女のネットワークで知っている人が居る、とのことでしたが詳しく話を伺う機会を失っている。貧乏性のせいだ。
キリシタン・バテレンの頃から日本語による聖書はあったはずじゃないかと思うのだが、私には判らない。カメルーンのアミン社長に話したら「原書は何語だ」と聞かれた。
「そんなこと、俺が判るはずがないだろう」と開き直ってみたが、考えてみれば、釈迦の言葉も漢字に音訳されて日本に渡来したら、何が何だか判らなくなっている。法事等で「お経」を有り難く聞かせられるがナンノコッチャチンプンカンプン。
真言は古代インドの言葉をそのまま聞いて、修行して「感じろ」と。
わかんなぁーい ! てなもんだ、べらぼう奴!。
比叡山を千日回峰行して即身仏になる時、感得するのだと。参ったね。
インターネットによれば高橋五郎の「聖福音書」はヴルガタ・ラテン語聖書のスタイシュンの口述から翻訳した、カトリックの和訳聖書の初めである、とされている。
そんなんじゃ、なんも判らんのだて。
高橋五郎という柏崎出身の人についてもっと教えくくれ !
写真は「吹雪の合間に」