朋あり、遠方より来たる

2016年02月09日 風の戯言


 降ったり、晴れたり、寒波が来たり
  雪国にとっては「ハワイみたい」な冬が過ぎて行く。

 雪が少なく、今年の『風船一揆』は中止との連絡が来た。
 記念すべき40回目だったのだが・・・もう40年か・・・

 「明日の鯖石を創る会」だの『風船一揆』だのと夢を語り
  俺は皆の夢を蹴飛ばして『創風システム』を起こした。
  社名は新しい夢であり、昔の仲間への謝罪でもあった・・・。

 ジャカルタの山田さんが柏崎に遊びに来てくれた。

  子曰はく、  
   朋有り遠方より来たる。
    亦楽しからずや。
     人知らずして慍みず。
      亦君子ならずや。と

 信州大学医学部で気球を思いつき、我が庭の「日本気球会館」で制作し、日中友好協会を動かし河北省石家荘でフライトを楽しみ、徳州会の徳田虎雄を動かしアキノ大統領就任1周年記念のマニラで大群衆の中での係留を楽しみ、彼はジャカルタで医療を志した。

 異国の地で悪戦苦闘しやがて独立をし、今はスタッフ150人の医療法人を築いている。

 独立の時、「その夢を手伝わして欲しい」と俺は言ったのだそうだ。そんなこと言ったのか、もう忘れた。
 預かり証も領収書もなしで、そうしたのだと。
 もう既に全額返して貰っているけれど、その『恩』を返しに時折柏崎を訪ねてきてくれる。律儀な男も居るもんだ。

 そう言えば、会って1週間の女性にプロポーズし、戸惑う彼女に「俺のことは石塚に聞いてくれ」と宣い、彼女は見も知らぬ俺に電話してき、俺の「間違いない」の一言で嫁さんになってしまった。

 何年か後、勤めていた東北の病院の余興で三味線を弾く旦那の脇で小太鼓を叩きながら「石塚さん、これで良かったのでしょうか」と言われ「良かったんだ、間違いなかったんだ」と答えた時の、あの場の情景が今も忘れられない。

 宇宙は広く、そして人間は温かい。