石川啄木
やわらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けと如くに
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
砂山の 砂に腹這い
初恋の
いたみを遠くおもひ出づる日
中学生の頃、初恋と未来への不安に七転八倒しているなかで、石川啄木の短歌に出会い、殆ど情緒不安定な錯乱状態に陥ってしまっていた。
正直に言えば、まだあの頃の世界に漂っている。
あの時代から60年が過ぎ、今新たに「文学とは何か」に迷い続けている。大学の卒論でヘミングウエイ「日はまた昇る」を題材に「無」の世界に切り込んで行ったが、何ヶ月もぼろ長屋の閉じ篭もり、掴んだものからは脱出できていない。
出来た卒論を届けに行ったら、期末試験が終わっていた。
「文学とは何か」今も解らない。
19日、ドナルド・キーン。センター開館3周年記念特別講演会を覗いてきた。
主題は「石川啄木の日記」。文学者の日記とは人に読まれることをむしろ予期しながら書き続ける「日記文学」。自らの弱さをさらけ出すことに事によって、人に勇気を与える、ってことか・・・よく判らない。
人は皆、自分を強く見せようと「滑稽な殻」を補強し続けている。