クリスマス・イヴ
我ら曹洞宗無神論派としても北京のうま煮ラーメンで細やかな2人だけのお祝いの宴を張った。
キリストはバイブルを残してくれた。
生きるのに迷った時に、その一節に救われるような言葉が鏤めてある。
我ら曹洞宗無神論派には般若心経、修証義があるがもう少し現代の言葉に直し、迷える人達に寄り添い、悩みを聞き、語りかける優しさがないと、迷える人を救えないのではないか、と思う。
我々が仏教に接するのは葬儀の時くらいになった。有り難い、分けのわからない御経を聴く忍耐を強いられ、挙げ句に法話と題してクソ坊主のお説教を聞く事を強要される。
「仏さん」という人質を取っているからテロを起こす人はないが、坊主ももう少し考えた方がいい。お葬式を現代風にリニュウアルせよ。誰も行かなくなるぞ。
「職業としての宗教家」を自問自答して欲しい。
マックス・ウェバーを呼んでみるのも良し、或いは修行の中で、宗教家の目的が何なのか、自分はどうすればいいのか、もだえ苦しんでみて欲しいと思っている。
今一番必要なのただ一度の人生を納得して生きるための宗教だと思っている。