テロリストと言語
毎日新聞にそんな記事が載っていて切り取っていたのだが、何処かに行ってしまった。
要はこうだ。
自爆テロリストは自分の意思でテロを起こす。
何故か?
人は言葉により自分の信念を築く。
遺伝子によるものではない。
その人の家庭、その時代の社会的環境、友人、教師。
社会的熱狂といえば「真珠湾攻撃」だろう。
その前後、日本は戦略的、科学的思考を投げ捨て「神国日本」に爆走してしまった。戦後は一部軍部に責任を押しつけ、或いはまた一億総懺悔と歴史を直視する姿勢が欠け、またも同じ道を走ろうとしているようだ。
ドナルド・キーンの「日本人の戦争」(作家の日記を読む)を拾い読みしてみると、高名な作家達まで血迷っている。70年を過ぎた現代だからそう思うのかも知れない。
神風特攻隊、ナンテのもあったな。
彼等は敵艦に突っ込んで自爆し、そして「神」になった。
要は、言葉が意識を創り、人を創る、ということ。
話は流転する。
遠い昔、よく走った山間の道を、始まったばかりの紅葉に魅せられて車を駆っているうちに道に迷ってしまった。迷うのがまた魅力なのだが、刈り入れが済んでホットした秋祭りの後にはもう冬支度が始まっている。
ポツンポツンと残る古びた家の前に、老婆が蹲っている。
昔は、子供達の声が山に木霊していたのだろうに・・・
実家の前庭で、莚(むしろ)に座りで豆柄を叩いていた祖母を思い出す。おばば、どうしてるかなぁ。
大泉寺に寄ったら、住職の小林さんが落ち葉掻きをしていた。先日の台風で杉の葉が落ち、境内を埋め尽くしている。
仁王門の脇から狼煙台まで山中が荒れていて、後から来た人に聞いたらイノシシの仕業で、捕獲の罠を仕掛けるのだという。穫っても食えないのだそうだ。美味い筈なんだかなぁ。