空海の風景
姉の葬儀も無事に終わり、久し振りに親族皆が集まり、賑やかな別れの会になった。間もなく、あの世で皆が又会えるのだろう。
「空海の風景」を読み直している。
身も蓋も無い言い方になるが、人は死ねば土に還る。
最近は骨だけになり、生きていた面影も無い。
自分の葬式はドンチャン騒ぎを企てているが、もう少し詳細な企画書を作成し、関係者と契約書を交わしておかなければならない。印鑑が大切なのだ。違反者が出た場合に供え、弁護士とも詰めておかなければならない。楽しみだね。
宗教が何故必要なのか、考え続けている。
午年なのに「イノシシ型」の自分には「慎重に」、とか「よく考えて」行動する事は皆無で、思いついた時にはもう動き出している。後ろには「悔悟の山」が聳えているが、時間は戻らない、ヤッチャツタら仕方が無い、終わったことはどうにもならない。明日は晴れているのかも知れない。そんなとこ。
宗教とはそんな単純なことでは無く、もっと深い意味があるのだろう。
だが、誰もそれを説明してくれない。
「有り難いお経」は一つの音楽であり、生き残った人達に勇気も知恵も伝えては居ないのでは無いか ?
空腹に耐えて、山道を歩くことでしか得られないものかも知れない。