雀の涙

2019年02月26日 風の戯言

2月23,24日は「おぢや風船一揆」。
雪原に色とりどりの熱気球が舞う雪国に春を呼ぶ風物詩。
雪原に気球が浮かぶ絵のような世界に、童謡「春よ来い」(相馬御風)がよく似合う。

先週、山本山を訪ねたら西中の会場予定地に「風船一揆」の旗が立っていた。
雪は少なめだけど、晴れてくれるといいんだが・・・。
ただ、最近は気球を上げる雪原会場にも足が遠退いた。
夜の交歓パーティにも出席出来なくなり、家で指を咥えているだけ・・・歳かねぇ・・・。

話を変える。
「小さな雀の物語」の後も雀たちが庭に遊びに来ていてくれている。

掌で餌を啄ませるのが夢なのだが、野鳥は警戒心が強く無理らしい。
無理と言われると俄然ファイトが沸いてくる。
野鳥の会の友人は、冬は餌が少ないので、少しでいいからやって欲しいと鳥の親戚みたいなことを言っている。
彼は巣から落ちた孵化したばかりの雀の雛を育て、家族のように一緒に暮らしていたという。
ある冬、炬燵の中にいたのを知らないで踏ん付けてしまい、その話になると声を詰まらせる、まるで人間みたいな人間なのだ。

そうか、冬がチャンスかと思うが中々慣れてくれない。
雀たちは窓の近くで餌を催促するけど、窓を開けた瞬間みんな嬉しそうに逃げていく。
俺の顔がそんなに怖いか ! 
でも、身を隠して見ていると家族だけでなく、兄弟や親戚から加納の雀をみんな呼んでくる。
自分の分が無くなるのに人のいい雀だ。
ただ彼等は内気な俺の遊び相手になってくれている。

観察しているとスズメたちの「リスク管理」には驚かされる。
少しでも危険を感じると、東北地方でいう「てんでんこ」、バラバラに逃げる。
危険を察した順から逃げ出す。
何があっても、まず自分だけは生き延びるということか。
「避難訓練」が行き届いているのかな。

垣根代わりの竹林や建物の屋根で暫く様子を見ていて、一斉に飛び立つ。
弱い者はまず逃げる、そうして命を繋いできているのかも知れない。

「雀たち今日の夕飯食ったかな」
なんて一茶ばりの名句を作ってみたけれど、夏井いつきさんにボロクソにされそうだ。
「遊んでいろよな、雀でさえも生きる為には苦労する」
誰だったか、昔の落語家の色紙が記憶に残っている。

雀も人間も、目が2つで手も足も同じ2本づつ。そして同じように、涙を流しながら生きている。

柏崎日報 2/23日掲載分