早すぎた春

2019年03月10日 風の戯言

山の3月・・・どこかで春が生まれてる♪ 

根元に雪を抱いた八石山の木の芽が膨らみ始めている。
善根佐之久では梅の蕾が色づいている。

まだお彼岸にもならないのに・・・カレンダーと季節感がズレて、
この時期を鯖石弁では「キノメホグレ」、バカ者が狂い出す季節という。

喜寿を迎える歳になって「もう少し勉強しておけば良かったなぁ・・・」なんて、
クソシジイまた始まったかと罵声を浴びそうだが、人並みにそんなことを考える。

人になんと言われようと、この歳になってやっと教育の重要性に気が付いたのだ。

福沢諭吉の「学問のすすめ」には「人間に上下はない、けれど現実に貴賤貧富はある。
賢人と愚人の別は学ぶと学ばざるとによっている」と明治5年の初版本の巻頭にある。
「攘夷」から「開国」へ世の中がデングリ返った明治初期、
侍も町人も右往左往する中で国も個人にも独立不羈を説いた書は不気味な凄さを持っている。

固定化された身分制度が崩壊し、自分達を支え続けた価値観が雲散霧消し、
突然自由な社会に放り出された人間がどう生きていけばいいのか。
処世訓のような漢学の知識だけでは役に立たない。
人間存在の平等を説き、経済社会の本質を優しく、厳しく説いている。

「勉強しろ」と言うが何の為に学問が必要なのか誰も教えてくれなかった。
だから勝手に生きてきた。お陰様で大学を卒業するのに7年かかってしまった。いやはやだこての!

現在職業柄、加速度的な進化する「人工知能」の未来に興味をもっている。
AIは子供達の未来に何をもたらすのか、何を勉強すればいいのか。
子供達が一番苦しんでいる。

柏崎のアィディンティテとは何か。

他の都市と比べて見ると、寺沢石城の滄浪館、藍沢南城三余堂、
新潟短期大学など先駆的な学塾が地域の歴史に残した「教育」の大きさに驚かされる。

市長も塾経営者だし、市会議員にも塾関係者が何人かおられる。
地域経営100年の視点から、もう一度「学問のすすめ」の実学教育を見直したらどうだろうか。

リーダーの無私と情熱が組織を動かし、未来の「時」を創る。

現在、最高学府を出た人達は屁みたいに平気で嘘をこき、カラスにキンタマを持ってかれてしまっている。

人間五十年でしかない。
不器用でもスジを通せば、少なくとも自分を信じることが出来る。

「必要なのは学歴ではなく学問。学歴は過去の栄光、学問は現在に生きている」(田中角栄)。

柏崎日報 3月9日掲載分