解放軍に捕まった話
熱気球が取り持つ縁には心温まる友人が多い。
例えばジャカルタでスタッフ150人を抱えるタケノコ診療所の院長山田さん。
信州大学探検部で熱気球を作りたいとのことで、「柏﨑気球会館」で酒乱性人生論を語りながら酒を飲んだ。
医者を目指す学生が気球を作るなんて「バカノコッチョ」だけど、でも彼等は作ってしまった。
卒業して見事医者になり、徳田虎雄に憧れ徳州会に入った。
そんなある時、同じ病院に勤める女性に一目惚れし、プロポーズしてしまった。
だって・・・と彼女は迷った。
出会って一週間で彼のことはよく判らない。
で、山田さんは「俺のことは石塚さんに聞いてくれ」と・・・。
宮崎の彼女から電話があり、俺は無責任な太鼓判を押してしまい、2人は結婚してしまった。
いやはやだこての。
その彼が学生の頃、日中友好協会長野支部を動かし、中国で気球を飛ばすことになった。
団長は信州大学玉井袈裟男教授、学生達と妖しげな近藤・石塚を交え総勢10数人。
万里の長城を見学して翌日石家荘へ。
迎賓館で河北省のお歴々の歓待を受けた。
「龍令酔?」で乾杯を繰り返し、医者の卵が酔っ払って腹踊りを始めてしまった。
大ウケしたが参ったね。
翌朝、飛行予定地に行ったら200くらいの椅子が並べられていた。
河北省や解放軍の幹部の席らしい。
パイロットの安田君は焦ったけど、見事離陸。
気球は中国の大地を空高く翔び、やがて畑に着陸。
遙か地平線の向こうから大勢の人達が走ってくるのが見える。
しかし直ぐに「公安」の車に囲まれ、丁重に拉致されてしまった。
実はこのプロジェクトには長野のテレビ局もかんでいて、禁止されていた空中での撮影がバレてしまった。
時は1980年3月、中国にはまだ「文化大革命」「4人組」の煙の匂いが残っていた。
連行先は解放軍の司令官室。
些か緊張し、団長は考え込んでしまった。
こんな時は腹を括るしかない。
「約束を破ったのは我々の責任。どんな処罰も受けます」。
一歩間違えればスパイ罪にも問われかねない。
司令官はじっとこちらを睨み続けていた。
中国は長い苦しみの後、かすかに未来が見え始めた時代。
その後また天安門事件があるのだが・・・。
司令官の表情から我々はある程度の覚悟はしたが、フィルムが没収されただけで我々は無事放免された。
解放軍を出るとき、司令官がニヤリとしたような気がした。
腹踊りのお陰かな? いやいや・・・。
柏崎日報 6月20日 掲載分