慈母の寝姿 八石山
八石山は母親が愛しい子を寝かしつけている、そんな姿にも見えてしまう。
もちろん、八石は涅槃仏のお姿として昔から信仰を集めてきた。
その名残か、山裾には善根とか佐之久、久之木、久木太とか浮世離れした名の集落が続く。
また八石は毛利一族の故郷でもあり、浄広寺や周広院には善根城に所縁が深く、4月18日の落城の日には山に入るなという言い伝えが今も残っている。
山頂近くに「御堂平」という地名もあり、不動明王の滝もあり、山伏の末裔らしき人たちが今も滝に打たれて修行している。
対岸の加納には昔は紫雲谷に七堂伽藍が揃っていたという清瀧寺(真言宗豊山派.養老年間の開基と伝わる)もあり、1300年以上にわたって地域の人たちからの信仰を集めている。
古い神社も同じように1200年以上の歴史を持っている。
地域のお寺さんは真言の世界から鎌倉時代の禅宗を経て、明治の廃仏毀釈を生き延びてきた。
ただ、現在のお葬式の「有難いお経」は何を言っているのかよく解らない。
宗教は死者を称え、残された人に生きる勇気を与えるものでなくてはならないと思うのだが・・・。
子供の頃、母・祖父・父・祖母と10年のうちに次々と亡くなり、曹洞宗の修証義を聞いて育った。
「生をアキラメ、死をアキラメるはこれ仏家一大事の因縁なり」 生も死も諦める? ナンジャラホイ?
お寺さんに文字通り「明らかにする」と諭されたが、解らん!
人間とは何か、人生とは何か、そして死とは何か。
寿命が延びすぎ、長寿が幸せとは言いきれなくなったしまった現代、迷える人間にとって、解りやすい文庫本のような「現代のお経」が必要になっているのではないかと思う。
「もうおねがい ゆるしてください、おねがいします」とノートに書き残して死んでいった5歳の女の子の叫びが耳から離れない。
社会が忙しくなって、文字通り「心を亡くし」子育てに無条件の母の愛を注げる時間が足りなくなっているのかも知れない。
のめしこきの親父なんて何の役にも立たん!
時代が大きく変化している時代、新しいことだけに振り回されず、論語の「仁、義、礼、智、信」等昔の人の生きる知恵をもう一度考える時間が必要になっているようだ。
梅雨空に霞む八石山を見ながら、時折そんなことを考える。
喜寿を過ぎて、悪いのは頭と口だけかと思っていたら耳と足元まで怪しくなってきた。
やんなったなぁ…。
そんでもヨタヨタしながら一日中働いている。
2000万円貯まるかなぁ…。
柏崎日報 7月18日 掲載分