雑感
ほてっちょ向いて歩いているうちに80歳が近くなり、残す時間も短くなった。あと30年しかない。
生まれ落ちた時から徘徊を繰り返し、今でも自分がどこにいて、何処に向かっているのか判然としない。高校の時は建築屋を目指し、大学では貿易商を志し、夢破れて帰郷してからは建設屋が天職になり、パソコンに魅せられて土方から足を洗ってコンピューター屋になったけど、これもまた天職になった。
鯖石の谷には幾多の神々が御座っしゃります。山々の清水を集めて鯖石川に向かう小さな谷に、この地に生を受けやがて消えて行く人間や動物や蛇の果てから昆虫まで、神々は温かく涙しながら見守り給う。
仏は人に生きる道を説き、タヌキや鳥やカエルからホタルに命の限る生きる生命の尊さを温かい言葉で説き、見守り給う。
考えてみると、神や仏はよくぞ我をこの地に生まれさせてくれたものと感謝する。子供の頃、意味も解らずにグレて、小学校の頃、放火容疑で捕まったことがある。いくら馬鹿でも人様に家に火を付ける訳はないが、人は良く見ているのだと思った。尤も、次兄は神社の大木を燃してしまった。姉兄弟と時たま集まると90歳近い兄を火付盗賊と笑いものにする。人間の記憶とは恐ろしいもので80年過ぎても話のタネになる。
土方時代、京大の学生に出来て土方やペンキ屋に出来ないことはないだろうと日本で2番目の熱気球を目指した。「嫁よこせ!、風船一揆が雪国小千谷の早春の祭りになり、田島の金子修一氏が全国的な祭り屋になっている。雪原を飛び、人の失敗談を肴に酒を飲んだくれ、シッチャカメッチャカになって塒に帰ってゆく。もう何の手伝いもできないけれど、祭りの役員に副会長として名前を残しておいてくれる。小千谷の人達は温かい。
土方時代、もう一つのホラ話で坂本龍馬の海援隊、中岡慎太郎の陸援隊、そして石塚修の雪援隊があった。大雪に難儀している老人家庭を近くの職人たちと雪降ろしをして回った。お金橋から貰った。小学校の校長さんが賞状をくれた。なに、仕事の後の上り酒が楽しみで、ここでも飲んだくれてスコップとカンジキを肩にかけ、仲間しか知らない話を大声で喋りながら国道が狭いほどの歩き方で帰っていった。いや、これが楽しいのだ。
世界的なコロナ禍と産業革命以来の時代の激動が重なり、「幸福の追求」という未来の夢が描けなくなっている。資本主義の終焉とも人新世とも言われるが、ただ一度生を受けた人間が喘いでいる。
昭和17年の生まれだから、3歳とは言え長岡空襲の焦げるような赤い空を覚えている。トランプだけがメチャクチャなだけではなく、アメリカの本質は鬼なのだと思う。ただ、映画やマスコミを使って理想の国を演出しているだけに過ぎない。原発災害も、もとはと言えばGEのビジネスを丸呑みさせられているに過ぎないのかも知れない。東電にも日本政府にも決定権はない。但し、責任はある。
閑話休題。
現在コロナパンデミックで感染者は1億人に迫り、死者は200万人を超えている。1918年スペイン風邪で4000万人が亡くなり、1981年エイズで2500万人が亡くなったという。新型コロナも、まだまだ先があるのだろう。人間の知恵はこの感染症に勝てるのか?
健康と経済、人間が生きて行くためにはその両方が必要であり、綱渡りが求められる。そしてもう一つ、環境問題はジワジワと攻め立てられると気の付いた時にはアウトになる。
週刊新潮のグラビア、「138億光年を旅する」は衝撃。宇宙の現実は凄まじい。
仏の教えを、初期仏教の教えを見直す必要があるようだ。