AI と 般若心経

2024年07月10日 風の戯言

最近、「AI]とどう付き合うか?考える事が多くなった。
コンピューターが人間の人間の知能を超える、いわゆるレイ・カーツワイルの「2045年問題 シンギュラリティ」に向かって現代史がどう動いてゆくのか、は興味深い問題であり続けた。
そんな折、「Chat GPT」が急激に脚光を浴びてきた。

「Chat GPT」は便利に使っている。
但し、mailを代筆させるほど横着ではない。
人は「言葉」で考え・思考し、言葉で行動し、言葉で反省し、言葉で失敗を乗り越えているからだ。

だが、はたしてそうか?
自分の欠点として「考える前に行動」してしまうことが多い。
他人には、「陽明学では知行合一」と言う、俺は常に先を考えている、とカッコウつけて開き直っているけれど。

「感情と科学」あるいは「宗教と科学」、あるいは「夢と算盤」
アインシュタインは「科学なき宗教は盲信であり、宗教なき科学は欠陥である」
ワインバーグ博士は「トランス・サイエンス」ー科学に解決を求める事は出来るが、科学では解決できない事の方が多い。

人間の行動は理知的ではない、計算ずくめではないことが多い。
だから人間は素晴らしいのだが・・・。

感情とは何か?