行兼のお墓
今日は兄 石塚孝 の命日。
先祖が眠る行兼のお墓お参りに行って来た。
ここに来れば、自分が子供だった時の祖父母、父母、愛子、絹子、孝、芙美子、幸彦・・・
それに小さな、50軒くらいの集落のみんな、アタシャのおばば、新宅の爺さんや大門のばあちゃんたちみんなに会える・・・
その時、偉大なニヒリストにして敬虔なる仏教信者の俺にとって信じられないことが起きた。
岩野のお墓から、お墓に行く真直ぐな道を歩いている途中、曇っていた空の一点からお日様が、俺の所だけ陽が射した。
行きに2度、帰りに2度、俺の居る所だけ4度も強烈な陽の光が射した。
俺は大笑いした!
そんなバカな!
話が出来過ぎだ!
そうか、皆に会えたのだ。
俺は両手を空に突き出し、お陽様に「ありがとう、ありがとう!」と叫びながら小躍りしていた。
83歳を過ぎた男が、我ながらオカシイと思いながら、俺は子供の様に嬉しかった。
気が付いて回りを見たら、軽トラで来た爺さんがいた「なにしてがだ?」
嬉しかったので、何か喋ったがハチャメチャ・・・ま、いいさ、みんな踊ってた。
写真はキッカタリから行兼の山を見る。
かつて、この山の畑で皇居で行われる新嘗祭に穀物を献上する「あわ祭り」が執り行われたという。
父親 石塚佳吉が神官を務めた写真を見た記憶がある。
そして、ここには子供のスキー場もあった。