「死」について

2024年09月06日 風の戯言

今、否応なしに「死」について考えさせられている。
親兄弟、親戚、会社関係、友人知人の「死」には人より多く立ち会ってきた。
だから「死」がなんであるか、誰よりも多く知っている筈であった。

子供の頃から、親たちの早すぎる「死」に修証義や般若心経に向き合ってきた。
学生時代は実存主義や虚無の世界にのめり込み「生」も知った心算になっていた。
しかし、妻の死に、それらは全て吹き飛んでしまった。

病苦と戦い乍ら、妻は自らの「死」を受け止めていた。

優しかった妻の旅立ちを、多くの人達が見送ってくれた。

そして今、「葬儀」ということについて考え込んでいる。
多分、人類の始まりから、この「不条理」を受け止めるには何かに縋るしかなかったのだろう。
「論語」は葬儀の礼法が始まりだとも聞く。

否応なしに、身体から離れてしまった「魂」について・・・自分が彷徨っている。