原節子
大雪予報が当たらず、寒いけれど雪の少ない日々を喜んでいる。
庭の山茶花の木の下は、まだ土が顔を残していて嬉しい。
少し何かが見え始めたのか、飛ばし過ぎたのか、久し振りに血圧が下がり過ぎて、窓から雪雲を仰いでいる。
もう少し生きていることを楽しめ、というシグナルなのだろう。
文春に「原節子と裕次郎」の記事が出ていた。映画監督の木下亮が叔母の会田昌江(原節子)を追悼したものだ。
「東京物語」は1953年、昭和28年と言えばまだ小学生だった頃だから覚えているはずはない。ただ、村の学校の体育館で映画は何回か見た。隣の女の子が気になって、何を見たのか覚えていないけれど・・・。
同じ雑誌に鈴木京香の取材記事もあった。
女優としての心に共通点がある。似ていると思った。
たまには小津安三郎でも見るか。