38歳の旅立ち
友人の三男、というより自分の夢の戦友でもあった飯塚信雄君が亡くなった。38歳の旅立ちの前に、家族に「満足だった」との言葉を贈ったという。
私がワイナリーを引き継ごうとした時に、ソムリエとして勇気づけてくれた。海外を渡り歩き、ソムリエとしての腕を磨いた彼の言葉には真実の力があった。
その後刈羽村の職員として働き、お通夜は信雄君と奥さんの友人達、刈羽村の職員達で会場には入りきれない多くの人達であふれていた。彼の人柄が偲ばれる。
帰路、明るい夕焼けと山の翠、田には早苗が植わり、殆ど風もなく穏やかな5月の夕空が広がっていた。
庭には畑が拡がり、巣立ちしたばかりの雀たちが遊んでいる。
夜になれば月が中天にかかり、裏の田圃からは蛙の鳴き声が聞こえてくる。
先祖達が、この宝物のような故郷の地に魅せられていたのが判ったような気がしてきた。
この地には、大らかに、全てのことをお許し給う神々がおわします。