雪援隊

2025年02月08日 風の戯言

昭和の終わりころの3年続きの大雪には痺れた。
庭に建てた「柏崎気球会館」は雪に潰されてしまった。
3間*5間のプレハブだったけれど、地元はもとより東京・京都、長野からの仲間たちの、壁から畳迄の落書きが惜しかった。
積雪3メートルの重圧に耐えかね、使命を終えた。

同じころ、「鯖石森林組合」の土地と建物が手に入り、建物は昔の小さな学校みたいで、「パソコン村」に変身していった。
下の教室は、いろんな仲間の巣窟になり、坂本竜馬の海援隊、中岡慎太郎の陸援隊にちなみ石塚修の雪援隊なんてのが組織されていた。
冬期手の空いた村の職人たちが集まり、独り住まいの年寄の家の雪堀を手伝って歩いた。

10人くらいが手分けして屋根の雪をどけ、各家では感謝され、夕方巣窟に集まり、美味い酒を飲み続けた。
三三五五、スコップとカンジキを肩ね、足元の怪しい人たちが大笑いしながら帰ってゆく姿には、山郷の物語があった。

鯖石小学校の校長が感激し、『雪援隊殿」あてに感謝状を貰った記憶がある。

つい最近のひと昔、地域はみんな助け合って大雪を乗り越えてきたのだ。