「老人よ、大志をいだけ !」
今年は目出度く「後期高齢者」の仲間入りする。
新参者ですが、先輩方には以後お見知りおきを。
年齢と共に口は達者になったが、呂律も回らず、体調も怪しくなった。
まぁ、75歳までケツの穴を少し修理したくらいのポンコツだけど、多少痴呆症の自覚症状はあるけど、まぁ、いいか ?
しかし、考えても見よ。後期高齢者は人類の未来への伝道者であり、立派な歴史遺産なのだ。
歴史を知らないものに未来はない。何故なら歴史とは失敗のビックデータなのだ。人工知能(AI)で集計・分析すれば未来への課題も処方も見えてくる。
そんな面倒な事より、我々には「失敗という財産」がある。誰にも話せない、思い出せば涙が止らくなる「失敗」がある。
だけど私達は生きてきた。それを活かそうよ。竹には節があるから天に向かって伸びられたのだと思うんだ。
トランプももうすぐ俺たちの仲間だけど、耄碌が酷くなって、言っていることがシッチャッカメッチャカで、世界が少し怪しい雰囲気になってきた。
さぁ、もう一度俺たちの出番が回ってきたのだ。年寄りには、若い人たちには出来ない「宝」がある。「失敗」の経験と思い出がある。「失敗」を繰り返させない使命があるのだ。
ボブ・ディランは「どれだけ多くの人が死んだら、戦争はなくなるのだろう」と歌っている。どんなに時代が移っても、生きることの幸せは安心して暮らせると言う事なのだと思う。
俺たちには使命がある。
若い人達なんて当てにせずに、最後っ屁をぶっ放すまでもう少し頑張ろうよ !
でも、あんまり長生きするなよ。