遺伝子の乗り物

2007年05月10日 風の戯言


 一昨日は東京7時間ぶっ通しのセミナーに参加。昨日は午後から新潟の講演会を聴講。些か狂気じみたスケジュールではあるが、人生幾つになっても運命の出会いというがある。
 昨日の講師は渋井真帆さんという30代のバリバリの美人。しかし、ただの美人講師ではなかった。

 宇宙飛行士の毛利さんと対談する機会が有った時、楽屋で初対面の渋井さんに毛利さんはいきなり質問をぶつけてきたそうな。
 「渋井さん、人生の究極の幸福って何だと思いますか?」
 即座にこんな問いに答えられる人はいないだろう。
 「人生の究極の幸福は進化することだ」と毛利さんは言ったという。それは人間は遺伝子の乗り物に過ぎず、今現在自分の身体を支配している遺伝子は地球上に生命が誕生して以来、単細胞の時代から幾多の絶滅の危機を乗り超えてきた遺伝子である・・・そういうことになるのだ。
 幾多の絶滅の危機を乗り越えてきた、いわゆる進化した、激動する環境変化に対応してきた遺伝子は、進化し環境に対応すること事態を是とし、楽しいと感じている筈だと言う。

 前向きに生きる人に感動し、惹かれるは遺伝子に組み込まれたプログラムの仕業だという。高橋尚子やイチローなどのアスリートに興奮するのは、限界を超えて頑張っているイチローの遺伝子に対し、己の身体に乗り移った遺伝子の興奮のなせる業だという。人は未来に挑戦することを喜ぶ遺伝子に支配されているのだ。
 だから、何時も後ろ向きの言葉を吐く人を嫌だな、と思うのは組み込まれた遺伝子のプログラムと違うからだ。

 松下幸之助には「世の中は常に生成発展するものだ」とい強い信仰がある。どうせバブルの夢の跡だろう、と深くは考えなかった。しかし違ったのだ。リチャード・ドーキンスや竹内久美子の遺伝子学の本と渋井真帆の話で松下幸之助の言葉の意味が解けた。
 我々は進化を喜びとする、人生の究極の幸福とするプログラムをインプットされた遺伝子の乗り物なのだ、ということか。