風に吹かれて
息子が5月の連休を追えて東京に帰るとき「親父、この本面白いぞ」と置いていった『編集者という病い」は成る程刺激的だった。最近急成長の幻冬舎、見城徹社長の日常を搾り取ったような描写が凄い。尾崎豊との出会いから彼の死まで。才能が一点に突出しバランスの取れない精神と肉体、その折り合いをつけるために芸術が生まれ、果てしなく突出してゆく。芸術は地獄だね。
坂本龍一との4年間も凄い。編集者とは天才と狂人ととことん自己をぶっつけあうことによることしか作品は生まれてこないのかとも思った。
一個の天才と狂人が生きるには、やはり大都会しかないのかな? 田舎で生きるには・・・まず理解者がいない、孤独を癒す無償の愛も・・・無いのだろう。
五木寛之は初期の「蒼ざめた馬を見よ」「さらばモスクワ愚連隊」の強烈さが醒めて、最近の親鸞仏教の本はあまり好きではない。人間を「この世に投げ出された存在」だとしても「流されてゆく日々」とまでは妥協は出来ない。走っている途中で人生の幕を下ろすエンデングは描けない。俺は、命の尽きるその日まで闘い続けたいと思う。
なんとだろう? 自分の夢? 自分の肉体? どんな時にも燃焼しつくせなかった自分の臆病?
自分の存在そのものを許せない・・・だから自分が消滅するまで戦いをやめるわけには行かない・・・体調不良で2,3日寝込んでいて・・・そんな風に思った。
老人性鬱病・・・うーん、それも嫌な言葉だなぁ。