片貝の花火 

2018年08月28日 風の戯言

小千谷市片貝町 浅原神社秋季大例祭には神が降りてくる。

重陽の節句、9月9・10日浅原神社に奉納する「片貝の花火」があるから当然のことなのだが、不老長寿を願い神と人間との饗宴が繰り広げられる。
多分、八百万の神が集った天の岩戸の宴もかくやと思われる。
片貝町の人達は古代人とラテン系との血が混じり合っているのか、神様も祭り囃子に浮かれ、完全に酔っ払って踊り出している、そんな祭りが8日の宵祭りから3日間も続くんです。

昔、片貝では各家で花火を造り、浅原神社秋季大例祭に奉納していたという。
今もその風習は変わらず、各町内で玉送り行事で御輿を引き回し、境内で「シャギリ」が行われ、お立ち台で奉納木遣りをうたい、花火を打ち上げる。
だから片貝の人達にとって花火は単なる花火ではない。
「結婚祝い」や「孫の誕生」、「親父の追善供養」なんてのもある。
花火番付を見ていると、町中の賑やかな話声が聞こえてくる。1年の喜びと悲しみを、それぞれに打ち上げる花火に込めている。

片貝の花火は神様に奉納した花火だから人間共には見えなくてもいいのだという。
雨の日に桟敷で傘を差して花火見たこともある。
「ズド-ン・・・バリ、バリ」の打ち上げの音が聞こえ、雲が少し赤く染まるとお立ち台は厄年や還暦の仲間達が「バンザイ! バンザイ!」と狂喜乱舞し、桟敷席からは「良かったぞ、おめでとう!」のかけ声が波を打つ。
晴れた年には浅原神社の裏山から桟敷席まで降ってくる、鳥肌の立ってくるような花火も、彼等には同じ奉納花火なのだ。

小千谷市の職員が目に涙を浮かべながら語ってくれたことがある。
戦争中、火薬統制令が厳しい中、本田善治さんは軍と直談判し、仲間と共に花火を上げ、思い残すことなく戦場に散っていったという。
あの職員の話が今も忘れられない。

本部前の桟敷席にいると花火師達が目を輝かせて飛び回っている。
どうにも我慢できなくなり、翌年花火師の手伝いをさせて貰った。
スターマインを任せられ、目の前で炸裂し続ける花火の筒を追いかけ、俺も完全に「片貝人」になりきり、狂った。

花火の起源は疫病や悪霊を大きな音で追い払う爆竹にあったのだろう。
火薬が発明され、やがて金属粉を混ぜることで鮮やかな色が出るようになった。
しかし俺には音楽まで要らない。
やはり花火は人々の祈りや感謝を故郷の空と神や祖霊に捧げる素朴な花火が一番美しいと想う。

片貝には、藍沢南城の父北瞑の朝陽館があり、学問と祭りの「文祭両道」大切にしている。

(柏崎日報 8月25日(土) 掲載分) 少し加筆しています。