八石山埋蔵金物語

2018年09月19日 風の戯言

もう随分と昔の話になる。
そうだね、土方だった頃だからもう40年も前のことになるのかなぁ。
会社のガソリン・スタンドで「油を売っていた」ら大阪から来たという変な男と意気投合してしまった。
「何しに来たんだ?」 と俺の愛くるしい問いかけに、彼は無愛想に「宝探しよ!」とぬかしやがった。時はまさに「埋蔵金ブーム」の時代。

奴(やつ)の言うにはこうだ。
蒋介石が中国大陸を追われ台湾に逃げる時、妻の宋美麗の家から持ち出した金銀財宝を八石山に埋めたのだ、という。
八石山の埋蔵金 ? あの児玉誉士夫が運んだのだ? で、何故八石山に?

大東亜戦争で日本が負けた時、中国大陸に残された人達を日本に帰す指揮を執った「覆面の司令官」がいた。
その人のお陰で中国大陸からの引き揚げは満州よりはスムースだった、という。
その覆面の司令官と蒋介石との信頼が厚く、司令官のふるさとに埋めたんだよ、知らなかったのか、バァーカ !

この俺に向かって「バァーカ」とは何事だ、その場で首を絞めてやろうかと思ったが、財宝は800億だと言う。
何人か後を追ったが善根の御滝さんの当たりで見失ったという。

八石山の善根城跡に飯田貞固陸軍中将揮毫の碑がある。
小国八王子の人で近衛師団長を勤め昭和天皇の信頼が厚かったと聞く。
生年は山本五十六、東条英機と同じ明治17年。
蒋介石は高田連隊にいたことが有り、小千谷小粟田原にあった陸軍飛行場にも来たことがある、と言う話を聞いたことがある、と市の職員。

話の辻褄が合ってきたぞと喜んでいたら、財宝は見つかり御滝さんの川に2本の橋を寄付して帰ったという。やれやれ !

飯田貞固中将のことを調べてみたいがまだ謎が多い。
加納の清龍寺に中将のお墓がある。
子供の頃、教科書か何かで石川峠を越えて南城三余堂に通う話が載っていたのをかすかに覚えている。

八石は不思議な山だ。
涅槃仏のお姿から信仰を集めた山でもあったらしい。
「善根」という地名も尋常じゃない。

八石山は、また維新回天の長州中国毛利の故郷でもあり、好きなタイプじゃないけれど安倍総理も長州人だ。
八石山と縁の深い長州人脈が今も日本の政治を動かしている。

鯖石郷に流れる歴史の不思議さを感じる。

(柏崎日報 9/22 掲載予定原稿)