「運」について

2018年12月15日 風の戯言

大谷翔平の目標達成マンダラシートについて書いたことがある。

高校1年生の時、2刀流でドラフト1位指名を獲得する為にどうすべきか。
投打の技術的な目標設定は理解出来るが、「運」を呼び込む為に「ゴミ拾い」までシートに掲げていたのにビックリした。
運とは、人知を超えた神の領域だと感じているからだ。

しかし、体験的に言えば「運」には何度も助けられた。誰かに見守られている、そんな感じがする。
子供の頃、「俺は運がいい」と言ったら、義兄が俺を抱きしめて泣いてくれた。5才で母を失い10才で父は逝った。
親代わりだった兄姉達のその温もりを知っていながら、何故もっと真面目に生きられなかったのか・・・。

「間一髪」という言葉があるが、忘れられないのは小村峠で「空に石が浮いていた!」時だ。
一瞬「落石 !」とブレーキを踏んだが、大きな石はボンネットを大破し、谷に落ちていった。
フロントガラスに飛び込んだらどうなっていたのか・・・。「落石注意」だってねぇ・・・。

宮平の沢の河床工事では、お昼休み前に現場に行き「少し早いけどお昼にしないか」と声を掛け、みんなでワイワイ言いながら現場小屋に戻った瞬間、今まで仕事をしていたその場所に、山の斜面が崩れ落ち、現場は完全に埋まってしまった。
もう一瞬遅かったらと思うと今でもゾッとする。

そんなことが数え切れないくらいある。これはやはり何かの「運」としか思えない。

女房のご機嫌取りにと結婚記念日に旅行に連れ出した。
しかし大積の高速道路でスリップし、路側と中央分離帯のケーブル支柱をなぎ倒して車の前後はシッチャカメッチャカ。
幸いドアは開いてくれて脱出でき、後続車もなく追突事故を免れ、全くの無傷で、今もフテブテしく生きている。

あれ以来女房は車の助手席で四肢を踏ん張り、もの凄い形相で俺を睨み続けている。フンだ !

経営のリスク管理は動物的なカンなのかも知れないが、幾らザイゴモンでも痛い目に何回もあっていれば「失敗の本質」を見る目は否応なしに身についてくる。
しかし「危機一髪」で助かることが多いとはどういうことなんだろうと思う。
会社の仏壇には毎朝水を供え、花を育て、目についたゴミは出来るだけ拾おうと思っている。
だが、そんなことで神が微笑んでくれるのだろうか。不思議な世界だ。

柏崎日報12/8掲載分