仁は愛よりも深し

2019年07月29日 風の戯言

俺の古巣、石塚組の代紋は山笠に「仁」である。
好きなシンボル・マークだけど、意味が解らない。
若いころ組長に問うた。「仁とはなんであるか?」 組長曰く「仁は愛よりも深し」そう言ってニタリとした。
なんのこっちゃ?

論語の五徳「仁・義・礼・智・信」の初めに「仁」があるのは知っている。
続く「義・礼・智・信」の意味も推測はつく。しかし、「仁」は解らない。更に「愛よりも深し」とは何ぞや?。
「愛」とは多少スケベな匂いはするが・・・品が落ちた。
ただ、仁よりも対象が狭く、明確なような気がする。愛よりもさらに深く、広いとすれば、それは何か?  未だに良く解らない。

鯖石はチートばか前まで自然そのものだった。
雪の割れ目から蕗の薹が顔を出し、ヤブ蚊に食われ、家の周りを山鳥や雉が飛び交い、秋空に無数のトンボが群れ、白い雪の上にはウサギの足跡がいくつもあった。
当たり前のことなんだが、人間なんて自然の一部でしかないし、それなりに幸せだったのを思い出す。
焚くほどは風が持て来る落ち葉かな、の世界。

虫たちも、動物も、そして人間もみな生があり死がある。
そのことに思い至れば、命あるものの悲しみが解り、それが「仁」の世界なのかも知れないと思う。
生き物全ては同じであり、それぞれが生活圏を持ち、人もその愛すべき仲間の一種に過ぎないのだろう。
最近は庭に出ても蚊に刺されることも少なくなった。
そういえば小さな虫が少なくなって、カエルがいなくなって、蛇が姿を消し、イタチやタヌキの死骸も道路から消えた。
やがて人間も消えてしまうのだろうか? 

人間は未だ進化論の中にいるのか、生態バランスを崩す最新の外来種なのか判らないが、ただ大自然が人間に逆襲し始めているのは確かなようだ。

宇宙も時間も気が遠くなるほど広大で無限で、人の一生なんて屁のようなものかも知れないし、人間の死後には天国も地獄もなく、神もいないのかも知れない。

しかし、ボンビーな時、食うことしか考えられず、机上で築いた哲学がいとも簡単に崩れ落ちてしまっていた。

自分の生など無意味に近いけれど、そこから逃げたら俺は本当にダメになる。

それだけは解った。

空即是色、アクティブ・ニヒリズム。

判ったようなこと言ってないでもっと汗をかいてみろと叱られているような気がする。
兄貴の顔を見にお墓参にり行ってくるか。