ちょっと韓国まで

2019年10月17日 風の戯言

 日韓関係が騒がしい。

 今に始まったことではないけれど、この隣国との付き合いは難しく、手を焼いているのが実情だろう。しかし、金大中氏が大統領になる前、日本で拉致され簀巻きで日本海に捨てられるところを間一髪で救われたという007もどきのドラマもあり、大統領に就任した後「冬のソナタ」に熱狂するオバチャンたちにヤキモキするくらい日韓関係が良かったときもあった。

 最近のテレビや新聞はヘイトスピーチまがいのコメントばかりになってしまっている。
 嫌韓率も75%を超えるという報道もあり、元駐韓国特命全権大使武藤正敏の本も「韓国の大誤算」「韓国人に生まれなくてよかった」、「文在寅という災厄」とすごいタイトルが並ぶ。
 ニュースを聞いていると韓国の「歴史問題」という言葉が気になる。現在自分たちが苦しんでいる原因は全て日本にあるという。だから反日無罪。本当にそうなのだろうか。
知識のない人間は体験するのが一番、韓国に行ってみることにした。幸いまだパスポートは切れていなかった。飛行機とホテルを手配してもらい新潟から仁川に向かった。

 ソウルでは青瓦台と日本大使館、そして明洞を歩いてみれば少しは何かがわかるだろう。そんな軽い気持ちだった。ホテルは明洞の近く。シングルとダブルベッド、なんかスケベの妄想に悩まされるが、まぁいいか。一人旅で退屈したらベッドを飛び跳ねながら遊ぶかなどと、後期高齢者になってもまだ「ドクトル・マンボウ」の毒気が抜け切っていないようだ。

 旅装を解き、街に出てみれば韓国はお盆で殆どの店はお休み。静かでいいけど少し寂しい。近くの焼き肉屋で二人分食ってご満悦。焼酎によく合うしバカ美味い。ゴッツォ、ゴッツォ。店は地元の人達で賑わっていて、何となくそんな風景に溶け込んでしまう。いいね!

 翌朝、散歩に出ようとしたらホテル前に客待ちしていたタクシーの運転手と板門店の話になりD・M・Z(軍事境界線)を見に行くことになった。朝鮮戦争は休戦状態だけれど平和な状態ではない。北朝鮮はミサイルの実験を繰り返し、板門店の北側には120万の北朝鮮軍が対峙しているという。不謹慎だと知りながら野次馬に火が付いてしまった。
 漢江沿いの片側4車線の軍事用道路、いや高速道路を北に向かって走る。板門店が近づくと直感的に肌がザワザワしてくる。昔ソウルに来たとき、まだ戒厳令が敷かれていた時代で、道のいたる所に銃を構えた兵士達がいたことを思い出した。

 結局、事前に予約がないと入れない(当然のことだが)ので板門店4キロ手前の橋で戻り、臨津閣国民観光地に行き、北の墓参に行けない人たちが「望郷碑」でお盆のお墓参りをしているのに出会った。朝鮮戦争で故郷を追われた人たちが、祖先の地に思いを馳せている悲しい風景だった。

 イムジン川が漢江に合流するオドゥサン統一展望台では川向う2キロのところに北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国・・・納得できない国名だけれど・・・)の宣伝村が見え、今も南北がそれぞれの「統一」を掲げながら同じ民族の分断が続いている現実を目の前にした。
 奇麗な秋空が広がり、金正恩氏からの贈り物みたいなお天気だった。冗談だけど・・・。

 同じ民族として統一は悲願なんだろう。平昌オリンピックでは朝鮮半島を染め抜いた旗がいろんなところにあった。しかし、戦後70年、二つの国は同じ民族という共通点を除けば全く違う国になっている。統一した未来像はあるのか、判らない。
 
 北朝鮮は「金王朝」の如き前時代的な政治体制を有し、韓国は5年毎に最高権力者が入れ替わる民主制。文大統領は社会主義を掲げ、北による統一すら視野に入れているようだ。
 民族が統一され、国民が幸せになる。素人目にも南北の統一はそんなに簡単なことではないようだ。バックには大国の冷酷なパワーバランスもある。現実とはそういうものだろう。
だが、日韓の紛争はこの現実を直視しないと、先の解決は何もできそうにない。

 インターネットで朝鮮半島の歴史を調べてみるといわゆる李氏朝鮮は1392年から1910年の間に朝鮮半島に存在した朝鮮民族国家であり、1636年から1637年にかけて、清が李氏朝鮮に侵入し、制圧され清の属国になって生き延びたと記されている。
 その宗主国清がこともあろうに1894年から1895年にかけての日清戦争で敗れ、李鴻章の禿げ頭♪・・・ 下関条約により李氏朝鮮は独立国家となったが、しかし1905年に日本の保護国となり、1910年大韓帝国は大日本帝国に併合され植民地となっている。
 「歴史問題」とは単に植民地だった時代だけではなく、日本としては江戸末期、明治維新以来のロシアの南下の恐怖があり、西郷隆盛の「征韓論」、或いは福沢諭吉の「脱亜入欧」の背景をもう少し勉強してみないと良く理解できない。
 司馬遼太郎の「鬼胎の時代」とは単に昭和初期の10数年だけではなく、明治維新を生んだ「尊王攘夷」、アジア大陸の縁にへばり付いた島国の恐怖が今も生き続けているのではないかとも思える。地球儀を逆さまにして眺めてみると、本当の日本の姿が見えてくる。富山県が作った地図、中国大陸から日本を上にした地図は衝撃的だ。

 1945年 太平洋戦争(大東亜戦争)で日本が負け、突然権力が空白になったところをソ連とアメリカに分断統治された。植民地とはいえ日本の一部であったことが朝鮮半島の歴史をややこしくしている。
 1948年に成立したばかりの大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で生じた朝鮮半島の主権を巡る国際紛争、1950年の朝鮮戦争により北朝鮮が事実上の国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略を仕掛けたことによって勃発した。一時は南の釜山まで追い込まれ、仁川に上陸した国連軍により押し戻し押し戻され、38度線で現状が膠着している。この戦争で国土の大半は戦場になり、160万人の犠牲者を出しているという。車窓から眺めていると山に緑はあるが大きな木は見えない。傷は深さが痛ましい。
 敗戦で疲弊した日本の経済はこの「朝鮮戦争特需」で生き返っている。これもややこしい。

 以来70年、休戦協定は結ばれたが戦争が終わったわけではない。同じ民族が分断され、最大限に不信感を募らせ、今もいわゆる38度線にらみ合いが続いている。しかし、ここにきて、トランプのクソシジイが北朝鮮を「ぶっ殺す !」なんて喚いていたのに、アメリカに届かないICBMならいいじゃないかとばかり、韓国も日本もどうでも良いなんて訳の分からないことを言い始めた。そしていつの間にか金正恩氏とハグしたりしている。
 朝鮮半島複雑怪奇!

 戦後続いた冷戦構造が大きく変化し始めているのかも知れない。ベルリンの壁が一夜にして崩れ去ったことを私たちは同時代史として知っている。
 考えてみれば朝鮮半島を戦争ビジネスの戦場にしても儲からない。朝鮮戦争とベトナム戦争のトラウマはアメリカ社会に深く沈み込んでいるのだろう。
 アンドルー・ファインスタインの「武器ビジネス」、戦争の真の理由は戦場の死と引きかえの莫大なマネーの世界だという指摘は肌寒い。憎しみの種を播き、憎しみを増幅させ、分断させ、武器を売り、際限もない殺戮を強いている。馬鹿な話だ。
 アメリカのノーベル賞経済学者スティグリッツによればイラク戦費は3兆ドルかかり、アフガニスタン、イラク戦争で傷ついた米兵の一人当たり補償費だけで膨大な国家予算を必要としているという。
 アイゼンハワーが心配した「産軍複合体」、武器商人たちのビジネスは利益にならなくなったのではないか。としたらトランプは本気でノーベル平和賞を狙っているのかも知れない。世界で一番品がなく、嘘つきで、嫌な男だけれど、案外いい奴かも知れない。冗談 !

 回り道した。平和とは何か
 日本が広島・長崎の原爆で壊滅され、東京と地方都市が焼夷弾で焼き尽くされ、300万人以上の同胞が戦場に散った惨状に思い至る時、平和とはなんであるか自明のように思う。権力者の妄想に踊らされ、やがてマスコミも国民も権力者も人生を粉々に打ち砕かれるのを受け入れることができるか、ということだと思う。岩波新書の「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」は寒々とした本だ。

 「鬼畜米英」が一夜で「ギブ・ミー・チョコ」に変わったのは日本人がだらしないからか?
「産めよ増やせよ」「欲しがりません、勝つまでは」「本土決戦」、「一億総玉砕」、終いには風船爆弾や竹ヤリでっせ! 到底正気だったとは思えない。

 権力者が「国の為」という言葉を使うときは気を付けたほうがいい。
 浅田次郎が「中原の虹」で張作霖に叫ばせている言葉「我が勲は民の平安」。それがリーダーの真の役目だと思う。話が逸れるが「満州は日本の生命線」とし張作霖を爆殺したのは五族協和が都合のいい詐欺だったことを証明している。嘘は悲惨な結末につながる。

 韓国にいた時間はせいぜい40時間程度でしかなかった。鯖石弁しか理解出来ず韓国語も英語も全くわからない人間が韓国の空気を吸ってきただけで何が言えるわけではない。
 ただ、自分までもワクワクしている嫌韓ニュースに浸っていると悪しき日本が蘇ってくるように思えて仕方がない。権力者たちは、「国の為」「未来のため」と叫び、民衆は滅私奉公させられ、自分の人生を剥奪され、そして抹殺される。馬鹿な話だ。
 組織の宣伝に乗せられ批判精神を溶かしてしまうと、「鬼胎の時代」がいつの時代でも蘇ってくる。

 韓国が、そして北朝鮮が、いや中国も、戦後70年もたってまだ「抗日」、「反日」を唱え続ける原因を考え続け、忘れてはならないのだろう。政治の世界では「一度合意したから、一度誤ったから許されものではない」とする文大統領の言葉には違和感がある。しかし、「反日」を唱えれば国民がまとまることが出来ることの真の意味、背景をもっと我々は知るべきではないか、と思う。

 長州が奥州に「そろそろ仲直り」を持ちかけたら、「まだ150年しか経っていない」として断ったという話を聞いた。原田伊織の「明治維新という過ち」は人間を知るのに面白い。

 そして幸福とは何か
 人間は動物一種でしかない。だから生きる為のエサは大事なのだが、されど人間はパンのみにて生くるものにあらず。香港が求めるように自由が大切なのだと思う。
 貧負の差が広がり、その未来の夢が変質してきている。国連温暖化サミットでスウェーデンのグレタ・トゥンベリさん(16)が叫んでいた言葉が胸に突き刺さる。

 「今、地球は絶滅の始まりにある。
   それなのに貴方たちはお金と経済成長の話ばかり
    空っぽの言葉だけで、私達の夢と子供の時代を奪い去っている」

 ゴア元副大統領も京都議定書の挑戦を高く評価している。

 しかし、資源獲得競争、生産性効率化、継続的経済成長だけを求めて多くの人たちが精神に異常を来している現在、経済とみんなの幸福が共存できる時代が求められている。人工知能がその役割を果たせるのか。本当にどうすればいいのだろう。

 「置かれた場所で咲きなさい」。渡辺和子さんの言葉は重い。

 帰りの飛行機の中、高齢で惚け始めた頭であるか考えてみた。
 韓国には韓国の歴史があり文化がある。
 人間だもの完全に理解し合えるはずはない。
 しかとしローバルな時代、人が自由に往来し、移住し、その新しい地域に溶け込むとき、人間はもっと幸福になれるのだと思う。

 異質な文化を理解し合えるほど、受け入れられるほど、日本も韓国もまだ成長仕切れていないのだろう。だが、相手が悪いと言い募っていては、事態は悪い方向にしか行かない。

 身近なことを言えば、終戦後引き上げてきた兵隊達からは中国人、朝鮮人に対する蔑称「チャンコロ」「チョーセン」、という言葉が日常使われていた。子供の頃、自分たちもそれを聴いて育った。その日本人からの侮蔑の言葉を70年やそこいらで忘れられるわけがない。
 
 ただ、我々日本人がみんなそうであったのではなく、藤原正彦は台湾における八田與一と同じように朝鮮には穂積真六郎いたと知られざる秘話を書いている。それが救いなのだが。  
 
 あの頃はまだ遠い距離があった。今、新潟-仁川は2時間の時間で繋がっている。変われるはずだと思うし、変わらなければならないと思う。

 身近な女房とも価値観が違い、時には壮絶な闘争を引き起こす。しかし、お互いの文化の違いをジョークで乗り越えているうちに、家族という文化を生み出してくる。
 時間がかかるのだ。女房も最近優しくなったのだから・・・冗談!。