堤防の葉陰で

2021年07月11日 風の戯言

 歳と共に朝が早くなった。
 5時前には目が覚めてしまい、仕方なしに散歩に出る。ん?、
 徘徊じゃないよ、言っとくけど。
 
 まだ明けきらない鯖石川の堤防を歩いていると、遊び足りない妖精たちが賑やかに塒に帰ってゆく。
 八石山に霧が流れ、黒姫山は雲に埋まっている。
 晴れていれば遠く苗場山も見える。
 田圃の翠と山の翠、濃淡に差のある神秘的な緑が広がる。

 鯖石谷には大勢の神様が御座っしゃり、村人たちの暮らしを見守り続けていなさる。
 仏さまは人の生きる道を説き、静かに人の悩みに耳を傾けてくださります。

 谷を渡る風は爽やかで温かく、些かボケが進んだわが身にも心地いい。

 この谷に生まれ、この谷で所帯を持った。やがてこの谷の風になる。
 浮世離れをした朝の景色を吸い込みながら、ヨタヨタと歩いていると昔のことが思い浮かぶ。
 いろいろあったけど、この谷に生まれて良かったたなと思う。

 人生なんて屁のようなものだ、と言う。屁則是空。
 だが、自分の屁の臭さに悶絶した時のヨロコビは例えようもない。
 俺も白目を剥きだしたまま何度か死んでみた。
 性懲りもなく何度も失敗を繰り返している。
 DNAの仕業なのだろうが、治らない。
 仏さんに聞いても片目瞑ってウィンクを送ってくるだけ。自分で悟れ、バカ奴、と。

 閑話休題

 実感のないオリンピックが近づいている。
 コロナ過で「集まるな、酒飲むな、感動するな」と無観客でスポーツの祭典やるらしい。
 己の屁の臭さを知らない人たちは馬鹿なこと言う。

 人間は困ったとき、大酒飲んでバカ騒ぎする。
 天の岩戸以来、それが大和の国の文化だって天照大御神も言っているんだけどね。
 仏様だって般若湯を召しますよ。

 俺たちはこの谷で神々と仏達と楽しく静かに暮らしたい。
 「死んで来い!」と戦場に送り出され、放射能とかで故郷を追い出されたりしたくないだけだ。

 自分の住む柏崎の地は、ほんのいっとき神様からお借りした土地でしかない。
 所有権があるからと言って、お借りした土地をシッチャカメッチャカにして良いわけはないのだ。
 100年後200年後、原発の土地を昔の砂丘と松林に戻して返して欲しいと思う。
 原発の土地を綺麗にして元の土地の神様にお返しする、そうするのが原発立地地域に住む人たちの責任ではないのか。
 政治は現生利益だけでなく、この土地が好きで住み続ける人たちの夢を語るべきではないかと思う。
 
 長崎の軍艦島みたいな「文化遺産」が残されるのも苦しいけれど、「原発遺産」で後世の人たちがこの土地に住めないとしたら、この土地の神様達に申し訳ないと思う。
 時折でいいけど、この地の神様たちのことを思い出して欲しい。
 そしてできる事なら神様とお神酒を酌み交わして欲しい。
 「集まるな、酒飲むな、感動するな」、なんて人間に言う言葉じゃない。
 
 それでもまだ無茶苦茶言うんだったら、俺の屁一発お見舞い申し上げますよ。