春よ来い、早く来てくれ!

2022年01月30日 風の戯言

季節は真冬、いや節分も近づいたからもう春か。
もうすぐ桜が咲いて、谷根の緋桃が訪れる人たちの心を躍らせる。
「春よ来い! 早く来いってば!」

雪の中の生活は単調だども、子供の頃は雪は最高な遊びの環境だった。
仲間を校舎の窓から雪の中にほげ落としたり、落とし穴を作って奴らを雪穴に埋めたり、時々大人が嵌ってしまって本気になって怒られて雪の中を逃げ回った。

玄関の雪堀りは子供たちの仕事で、コイスキで雪ほげしていた。
冬の夜は「火の端」で手をかざし大人の話を聞いた振りをしていた・・・だって寒いんだもの・・・煙たかったけど。
夜は寒く炬燵や湯たんぽ、あんかで丸くなって眠った。

遠い遠い涙が出るほど遠い昔の話だ。

「柏崎は何もない街です」なんていう人もいるけど、自分が生かされている土地にそんなこと言っちゃダメだよ。
「置かれた場所で咲きなさい」という渡辺和子さんの言葉は重い。
2.26事件で父親を殺されたという悲しみを抱えて生き抜いた人。だからこそ、「置かれた所こそが、今のあなたの居場所。そこで笑顔で生き、周囲の人々も幸せにしましょう」という言葉が熱く響いてくる。
「人は愛するに足り、誠実は信頼に足る」と言う、アフガンで亡くなられた中村哲医師の言葉も重い。

柏崎人の取柄は「誠実」であることだと思っている。
誠実な人ほど自分が何も出来なくて「自分が嫌い」になるのだけれど、心のやり場に困って地域をけなせば地域はドボンする。

柏崎は素晴らしい土地だ。多少ヤケクソ気味だけれど。
新型コロナ騒ぎで雪洞に埋められた生活。
人生は不要不急なことだらけだけど、人に会うな、酒飲むな、キスするな!だって。
 
話がズレた。
柏崎の空気を落ち着かなくしている原因は雪の中の生活と原発にある。
角さんは日本列島改造論で三国山脈を削り取ると宣言し、当時の俺らは躍り上がって喜んだ。これで丈余の雪が無くなり、東京にも大雪が降る、ザマーミロ ! 、と。

もう一つは原発の問題。
3.11が近づきフクシマの事故や被害者のことを考えると俺だって暗くなる。
もう10年も世界も地域も東電もが悩み続けている。どうしたらいいんだろう?  

建設業時代、柏崎に世界最大の原発が来る、柏崎の生活が変わる、そんな夢の中で反対派に囲まれて松林を刈り払い、道路整備や構内の工事に従事した。
柏崎の未来の為に、原発誘致を決断した先人たちの苦悩も知っているつもりだ。

生活の中で、特に冬場の電気は絶対必要だし、山の中まで電力線を引き停電の無いように保守をする電力会社と働く人たちの苦労は同じ屋外で働いた仲間として多少は知っている。

気候変動の元凶の温暖化を止め、生活を持続するには「火力によらない電気と水素」しかないようだ。
「地域の未来・子供の未来」のために行動する時、「絶対安全な原発」を目的に定めた「神話から科学」による再生が必要だと思う。
そして「絶対安全」は政府や東電にだけ委ねることが出来ないし、地域で守り続けなくてはならない問題なのだと思う。

産業は人の幸福のために存在し、企業も顧客からの「信頼」がなければ存在できない。
働く人には「働きがい」が必要です。
マスコミによる空爆で彼らの心まで破壊されてはならない。

原発は透明性と情報公開による地域の生活共同体であるべきであり、簡単に言えば「絶対安全」は現場で働く人たちと地域で暮らす人たちの権利と責任なのだと思う。