海の柏崎、海水発電は夢か ?
震災3ヶ月後の現地は凄まじく、地震と津波に壊滅させられたあの光景を忘れることは出来そうにもない。様々な人生と歴史を育んだだろう街も集落も消滅していた。田畑に草が生え、残った人家にも人影はなかった。
特に、福島原子力発電所から20km地点に設けられた南相馬の検問所には大きなショックを受けた。柏崎刈羽原子力発電所の軒下に棲む者として、単純な話ではない。
「チェリノブイリ ⇒ スリーマイル ⇒ カシワザキ」との暴言を吐き、大顰蹙を買っていた時もあったが、「フクシマ」で現実のものになってしまった。
柏崎刈羽原発も中越、中越沖地震と続く震災で大きな被害受けたけれど、「大事」には至らず、「安全神話」は生き続けていた。「経済的恩恵」の中で、考える事を「麻痺」させていたのかも知れない。
「フクシマ」の後、「想定外」という言葉から現実に引き戻された。100%の安全はあり得ないことなのだ。そう言えば、あの地震の後の「補修」は大丈夫なのだろうか。
火力発電所の原油輸入による負荷は日本経済を大きく変えている。安倍政権の下で「原発再稼働」が現実味をおびてきている。本音を言えば、「フクシマ」の現場を見た身には柏崎刈羽原発は再稼働して欲しくはない。しかし、「廃炉」は正しいのか?
原発に賛同し、建設に参加した者として荒浜のあの広大な原発敷地が廃墟になるは見たくない。「廃炉」と「再稼働」の間に何かないのか。原発を「再稼働」させてもやがて耐用年数が過ぎ「廃炉」の季節が来る。ならば「再稼働」の先に「新しい発電所」を再構築出来ないか。
もし可能ならば、地元の経済人の1人として、次の安全な発電が出来るまである期間は耐えよう。ただ、いつ来るか判らない災害におびえ続けることになるのだが・・・。
柏崎刈羽原子力発電所の灯りを見ながら時折考えることがある。
この土地で生きていくために、豊かな経済が必要だ。柏崎の既存の産業を成長させ、更にこの土地でしか出来ない自主自立の産業を育て、雇用を生みだし、老若男女の笑い声が響き合う「柏崎・刈羽」をもう一度再現できないのだろうか。みんなが目を輝かせて夢を語り合う「柏崎・刈羽」をもう一度取り返せないのだろうか、と。
柏崎刈羽原子力発電所の灯りを見ながら時折考える。
核燃料の代わりに、目の前に拡がる「海のエネルギー」を使えないものかと。海水から水素を取り出し、燃焼させれば、また水に戻る。「万能細胞」の例もある。不可能を可能に出来る時代が目の前に来ている。そして、海は世界に拡がっている。
柏崎は石油、原子力と続くエネルギーの町である。「海」を次世代の新しいエネルギー源として活用する世界的な研究・実験・実現都市・柏崎の再生が出来ないのか。
人は夢があれば生きて行ける。それと・・・お金と・・・。