メリー・ジェーン
人は生まれ、生きて、死ぬ。
だから、人は死ぬ日に向かって生きている・・・池波正太郎
こんな当たり前の言葉が心に残る時は大抵酷い「欝」だ。季節的にも稲刈りシーズンは毎年体調不良に陥る。なんでかね?
しかし考えてみたら、もう此処何年も週に2回の鍼治療、そして週末のマッサージ。この何の役にも立たない身体を維持するために殆ど透析に近い治療を必要としていることになる。他に栄養剤数種。多分そんな日常も限界に来たのだろう。
普段は月曜から金曜まで走り続け、土日は家で書類整理をやる・・・会社でじっとしていられない性分は、決して褒めたものではない。もう少し「利口」であっても良いのだろう。
一人の事業家として、文字通りの激動の時代を生き延びてきた、良くも悪くも、そのことは正しいのだろう。しかし、人間の幸福とは何かを絶えず問い続けなければならない。
人は生まれ、生きて、死ぬ。
その「生きる」というのは、途方も無い努力の積み重ねなのだ。自分でも身悶えしながら生きてこそ、多少は人の役に立つ、のだろうと思った。
しかし、もう少し遊べ、とそう結論付けた。それでいいのだろう。
22日、急に小千谷の須坂屋の蕎麦が食べたくなり車を走らせた。店の支払いを済ませて、「親父さん」の消息を聞いてみた。自宅で悠々と畑を楽しんでいる。そして時折「おぢや雪原祭」の始りの頃を話している、と。30数年前のことを今も話しててくれる事を知って、思わず目頭が熱くなってしまった。「欝」の時にはこんな話が何よりも嬉しい。
車を走らせながら、「つのだ・ひろ / メリー・ジェーン」を繰り返し、繰り返し聞いていた。一滴一滴水が吸い込まれるように心身を満たして行く。音楽って良いものだ。
写真は小粟田原、カントリーエレベーターの近くから長岡方面を見る。かつてこの雪原から数十機の熱気球が飛び立ち「おぢや雪原祭−−嫁よこせ、風船一揆」が開かれていた。
戦前には軍の隠し飛行場があり、蒋介石が此処にいたことがある、と古い本で読んだことがある。
小さな家族
福田康夫が総理の椅子をぶちゃってしまった。安倍ちゃんの時のように「困ったような顔」もなく、読み終わった週刊誌をゴミ箱に棄てるように、日本国総理大臣、位人心を極めた最高権力者が、人事のような呟きを残してバイバイだ。異常だね。
丁度麻生幾の「ZERO」を読んでいる最中だったので、政権中枢の根性なしがリアルに浮かび上がってきた。
彼らには「護らねばならぬ者」が無い様に思う。国家から比べたら小さ過ぎるにしても、会社を維持することにはそれなりの努力が必要だ。自分の役割について執念みたいなものが無ければ、誰もこんな職をやりたくないだろうと思う。
社内から、顧客から、無関係な人からも様々な評価を下される。問題は自分の使命がどこにあるかだ、なんてマジに考えてしまう。自分が護るべきもの、それだけを大事にすれば良い。
家に小さな命が増えた。
ランちゃんは少し戸惑ったみたいだが、もう拗ねるのを辞めた。小さな家族を認めたようだ。
明日4日は倅の誕生日、もう何回目か忘れた。誕生日祝いに豪邸とスポーツカーと嫁さんをプレゼントしてやろう。
もう一つ若い人たちへのプレゼントはモチベーションは自分で維持しろ、と言うこと。誰かに褒めて貰ったり、価値を認めてもらったりしたら、そのことだけを求めるようになったら、その人生は詰らぬものになるようだ。
己を信じて闘い続ける、それしかない、と思う。康夫さん、あんた何をやりたかったんかね。