弔い合戦
石破内閣が発足し、田崎史郎が下らない話をしている。
日本は八百万の神、所謂個人個人の多様性を認めた国、その国の統治方法が単純な民主主義であるはずがない。
真のリーダーには数の論理+「徳」が必要になる。
現世を生きる為の「数の論理=力」経済だけでは本当の人生は幸福にはなれないのだという理想が必要になる。
理想と経済を掻き回して、与えられたただ一度の人生を「Happy!」と叫ばれるにこやかな環境が必要だ。
「徳」とは、自分よりもっと「悲しい人」を救えることだと思う。
現代に王道楽土を説き、私欲を捨てて人類の未来を歩けるようなリーダが欲しい。
変人石破茂総理に夢みたいな期待をかけている。
支持率51% 出発するには丁度いい。
さて、俺も弔い合戦を始めるか⁈
写真は城の組+明神の当り。
藻谷浩介とシャボン玉.
10月に入ったのでそろそろ「再稼働」願っている。
ただ、残念ながらいきなり戦闘開始出来ない。
エンジンが錆びついてしまっているようだ。
藻谷浩介の本を何冊か手元に置き、気の向いた本からパラパラめくっている。
藻谷浩介は司馬遼太郎、保坂正康に繋がる好きな論客だけれど本を買うのは初めてだ。
『「やってはいけない」「やらない」という基準が自らの中にある人」を「大人」』という。
そんなことを振り返りながら、自分のエンジンの調子を確かめている。
明神の向山ガーディン、馬場清子さんを訪ねてきた。
彼女も先年旦那さんを亡くしたばかり、同級生の友人も奥さんを亡くしてしまっている。
相棒が生きているうちに、何でもっとやってやれなかったのか、という悔いは同じだった。
写真は若山さん手製のシャボン玉製造機。綺麗だった。
帰り道、倍賞千恵子の「里の秋」を思い出し、思わず口ずさんだ。
日本の古い童謡・唱歌は滅茶苦茶にいい。
最近の歌は何だよ、芋虫が集団で這いずり回ってる。
母の待つ里
実は、母親のことはよく知らない。
母の顔を知ったのは、戦前新嘗祭で粟を陛下に献上した時の皇居前での記念写真。
母の名前も、大学卒業の時父母の氏名欄に母の名前を書かなければならなった時、初めて知った。
我ながらどうかと思うが、知らなかったのだ。
母は「おっかちゃん」だった。
その母親も、妻が生まれるのを見届けて亡くなった。
そうとしか考えられない。
昭和22年4月の7日と22日。
我5歳の時。
浅田次郎の「母の待つ里」。
この作家の好きな小説は張作霖を主人公にしたもの。
だから、この本は違和感が大き過ぎた。
この本の主題のように、今考えると仕事にのめり込み「幸せとは何か」を見失っていたのかも知れない。
でも、俺にとって仕事は楽し過ぎた。
いろいろな思い出が流れて行く。
そして、明日はからはもう10月。