「共謀罪」を政府要人に
政治家を志す「哲学」がボロクズ扱い。
マックス・ウェバーの「職業としての政治家」を読み直す必要がある。武士道や儒教や騎士道なんてのもあったろうに。
国会劇場ではアベとかカンとかの詭弁達者が、野党の有象無象を蹴散らかしている。信頼が音を立てて崩れ去っていく。
政治の民定の「信頼」がなくなったとき、心の廃墟が広がってしまう。
切腹と暗殺がなくなってから久しい。
大切な政府の記録紙が黒塗りだったり、無くなっていたり、破棄したりで、「文書」に対する危険が暴発している。
ドナルド・キーンの(作家の日記を読む)「日本人の戦争」を読んでいる。戦後書かれた「追悼記」的なものではなく、作家や故人が「日記」の形式で書かれた同時代史。
思いも寄らぬ高菜ものが埋まっている。
写真は「夢の森公園」のトイレに巣を作ったツバメのオヤジ。
後期高齢者 壊れ物につき取扱注意
なんと嬉しいことか !
「放置国家日本」は老人には喧しいくらいの世話をするらしいが、構わないでおいて欲しい。やっと自由になれたのだから。
最近、AI(人工知能)を考えていると「人間とは何か」わ考えざる得なくなる。そして「人生とは何か」も。
人間だけでなく万物は生まれ、そして消滅する。
万物の中で己の生死を思い煩うのは人間だけなのだろうが、「人生とは何か、如何に生きるべきか」なんて考えることは無駄なことだ。
人間は、納得しないままに生まれ、未来に確実に来るであろう死について、生命保険に擬して思い悩む。アホか?
何時か来る、それは明日かも知れないし、嫌になるほど先かも知れない。
確実なのは今日、或いは「たった今」だけしか無いのだろう。何て言っていて、来月の旅行を楽しみにしていたりする、やはりアホだ。
唯酒論の立場から言えば
1.少しの酒を変える金があればそれでいい。
2.一人酒もいいけれど、仲間があれば一番いい。
3.語り尽くせぬ知識と話題があれば、何時昇天してもいい。
母の日
12日、ビックサイトに向かったら電車に迷い、アチコチ乗り継ぎで歩いてやっと辿り着いた展示場でギブアップ。
それでも出張費の元を取ろうとめぼしきものを探し出し朦朧として説明を聞いていたが、もう限界。
這々の体で東京駅に辿り着き、来た電車に乗ったら何とか長岡に着いた。
ということで昨日、今日は殆ど寝たきり。
さはあれど、今日は母の日とか。
南鯖石のお墓にカーネーションを持ってお参り。
分かれてから、もう70年になる。
時は流れ、世の中は変化し、それが生きていることだという。
70年前5歳の子供をおいて旅立たなくてはならなかった母の無念が、今も自分を守り続けていてくれるように感じる。
多分、母の時間は止まったままなのだろう。