地域と大学
軽々しく引き受けてしまった柏崎市第4次総合計画市民会議の副会長職に悶絶している。当初は委員の一人として気楽に参加していたのだが吉田新潟産業大学学長の任期途中の会長辞任と言う一波乱が有り、刺々しくなった会議を和やかに進行させるのが俺の役割と自認し副会長職を受けた。それなりの期待は果たせていると思う。
行政における「長期発展計画」の位置づけとその策定手法は理解しているつもりではいる。選挙の洗礼も受けない、専門知識も関連情報に触れる機会の少ない一般市民が今後10年にわたる10万年の戦略構想を描けるはずがない。従って会議といっても個々の委員が自分の思いを述べるだけで、意見陳述会であって議論の場ではない、のは前回前々回の経験から知っていたはずなのに・・・悶絶している。議論にならんのじゃ・・・。市民の海からどんな基準で選ばれたのか、とにかく30人の委員が背負う背景の総和は広すぎる。それが柏崎今後10年の課題なんて言われても混乱の渦に巻き込まれてしまい、まとまりがつかない。
会議終了後はみんな絶望と欲求不満の塊みたいな顔で部屋を出てくる。酒に誘っても仏頂面で帰ってゆく。とりあえず自分の精神状態だけでも平穏に保っていかないとテロリストが誕生してしまう。
柏崎は海と山に囲まれた人口10万の古い町。北国街道の宿場町であり、北前船の港町でもあった。明治後石油産業の発祥地でもあり、鉄鋼業の栄えた農村工業都市でもある。
近年、高速道路の恩恵を受けたけれど高速新幹線の谷間が心配されている。世界最大の原子力発電所の立地を受け首都圏との経済関係は濃厚であり、工科系の新潟工科大学、経済系の新潟産業大学という2つの4年制大学の立地がある。
このファンダメンタルを受けて、未来計画を立てるとすれば郷土の師弟教育しかないだろうと思っている。俺に立案執行させてくれればあっという間に学園都市柏崎を立ち上げて見せるのだが・・・。
アルビン・トフラーの「富の未来」でもそうだが、未来は知識情報化社会になる。知識が一番の富を生み出す元となりその傾向は暫らく続く、という。地域を支えるのは高度な知識を持ったリーダーが活動する経済社会なのだと。そのための福祉であり健康づくりなのだと。
柏崎の毛色の違う2つの大学の存在は非常に大きな意味を持つ。しかも10万都市にあるというこの凄さを戦略的に活用しないてはない。絶望している暇はないのだ。